>>547
奴国2万余戸、邪馬台国7万余戸だから那珂比恵遺跡より大きな勢力圏を八女地域で見つけなきゃいけないんだけど
まあ当然の如くないんだよな >>572
戦国時代以降の中国の大物の墓は、書簡が出るから被葬者を特定しやすい。
たとえ貴金属類が盗掘済みであっても、竹簡が残っていることが多い。
卑弥呼時代の日本は、まだ文字がない。
未盗掘の墓から遺骨とともに銅鏡や武具やアクセサリーがザクザクでてくることはあるが、それでも誰なのかは特定できない。
三国志の記述を信じるならば、卑弥呼は魏の皇帝から、銅鏡や印章以外に、詔書・軍旗などを受け取っている。
当時の魏は、送り状と現物を別々に運ぶシステムが確立していたから、送り状や荷札は使ったはずだ。
銅鏡や印章などの盗掘者の目を惹くものの出土は期待できないが、文字が確認できる絹片(詔書・軍旗)、木片(荷札)、竹片(送り状)が出土する可能性はあるな。
卑弥呼の時代の人々に、墓の主が魏と外交をした証を副葬品として納めるべし、との考えがあったならばだが。 0579番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 5f8f-Vocr)2023/04/06(木) 12:18:33.82ID:dNMsDqY00
邪馬台=ヤマト=大和=奈良
はい論破
沖縄人が九州人を「ヤマトンチュ」って言ってるから
もしかしたら
九州にあったかもしれない
何度も言うけど北九州には副官『卑奴母離』がいるんよ
これは完全に延喜式や記紀にもある「夷守・鄙守」に対応する語であり、鄙とは古語で辺境を意味しているわけ。よってヒナモリで辺境を守る兵士という意味になるの。
つまり、九州は当時から「辺境」呼ばわりされていたということ。辺境が中心とか滅茶苦茶言ってること分かってますか
「卑奴母離(*pie-nɔ-mə-liɑi)」ね >>573
『三国志』には、倭人の入れ墨について書かれていますね。
「魏志韓人伝」、辰韓の人々の習慣は倭人に近く男女とも入れ墨をしている。
「魏志倭人伝」、男たちは顔や体に模様の入れ墨をしている。
>>583
そうだね
ただ魏志倭人伝には、帯方郡使が常に往来し滞在する所は伊都国であると記載されているから、倭人の習俗ってのは駐在先の伊都国で見た風景を書いたのだろう
邪馬台国の風俗だなんて一切書かれていませんね 0585番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウアウウー Sa23-ol76)2023/04/06(木) 12:36:10.56ID:hOZli75Oa
どう考えてもヤマトだし
0586番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW ff7f-hvPm)2023/04/06(木) 12:36:55.25ID:ou33Azdw0
>>510
徐州に銅鉱なんて無いしな,あの辺一面の大平原だし
>>585
邪馬臺はただのヤマトじゃなくてト(乙類)のヤマトに近い事に注目だね
畿内ヤマトは乙類の方だから 魏志倭人伝の記述は伊都国のものだから九州で当り前 邪馬台国は畿内だ 証拠は鉄パイプ これが畿内説
魏志倭人伝の記述も九州、出土物も九州、文化も九州、有棺無槨も九州、円墳も九州、鉄器も九州、絹も九州、一大率は北、狗奴国は南、これで畿内説は無理がある 九州なら全部説明がつく 畿内説は鉄パイプしか根拠がない
魏志倭人伝の時代から九州には「卑奴母離(*pie-nɔ-mə-liɑi)」がいることはハッキリしてるのに邪馬台国九州説って笑っちゃいますよね >>590
卑奴母離がいたのは
対馬国、一支国、奴国、不弥国
北九州やん 八女か久留米あたりが邪馬台国なんだから当然辺境じゃん >>584
邪馬台国の風習が倭人一般とは異なる、とも書かれていない。
倭人は鯨面であり、邪馬台国は倭人の国だ、としかわからない。
三国志には、邪馬台国が入れ墨文化ではなかったと断定できる記述はない。
また、畿内から出る人型埴輪の顔には入れ墨がほどこされている。
人型埴輪が出現する時代は、4世紀末と、卑弥呼から100年ズレるが。
>>592
八女から全然離れてないのに鄙になるんだ
まあ百歩譲ってそれでもいいよ
ただ、八女に奴国(那珂比恵遺跡)より大きな勢力圏は見つかってないんだよな
>>593
当時の畿内は絶対に黥面文化ではない
4世紀末だと九州と畿内が応神天皇を媒介に合体してる(阿蘇ピンク石石棺も運ばれるようになる)から単なる九州からの人間ってだけだろう >>595
史料なしに「絶対に」と断言できるのがすごい。
>>596
今存在しない史料を妄想するのは、八女から奴国より遥かに大きな遺跡が出てくるのを妄想してる九州説と同じ所まで堕してるじゃん
今確認できる史料からは、当時の畿内で黥面文化なんて無かったと断言できる >>594
平野の大きさから見ても久留米のほうが人間を養えるのは間違いない福岡平野より筑紫平野のほうが何倍もでかいし 詳しくないけど
結局福岡あたりか奈良辺りなんだろ?
そしてお前らどーせ九州のニートか
関西のニートなんだろ?
どっちでもいいじゃん
それが自分のとこだったとして
お前の惨めな人生なんか変わるんかよ
もし畿内説だとしたら奈良の北に一大率がいてそれが博多となる 変だね 邪馬台国は九州から畿内まで全域の連合体でありながら三重県和歌山県南部の平野もない地域の狗奴国と血みどろの戦争をしてたということになる おかしいね 戦争していて鉄鏃を使ってたと魏志倭人伝にもあるのに鉄鏃は九州から大量に出ても機内からは全然出ない おかしいね 畿内説は鉄パイプとヤマタイはヤマトだとかいうダジャレだけを根拠に言ってるだけで知能が正常ならやはり取りえない説だね
>>600
知能が正常なら...って
九州説の仲間は三橋貴明とか心理学者の安本美典とか竹田恒泰とか魑魅魍魎だらけじゃん
自分は専門家より詳しいんだって思い込むのは辞めたほうがいいよ。このスレでも俺にすら圧倒されてるのに
専門家は間違ってる!ネットに真実があるんだ!
そんなんだから俺にすら論破されちゃうんでしょ...
ネトウヨと九州論者の親和性ってなんでこんな凄いの
百田尚樹も九州説だし武田鉄矢はぶっ飛んで九州王朝説になっちゃった >>601
俺は邪馬台国の本なんて読んだことないよ全然詳しくない
バカでも九州だとわかるだけ
鉄パイプのことは知らないけど魏志倭人伝と出土物を照らし合わせて九州だと思うのが普通 プロなら邪馬台国が奈良にある根拠をちゃんと教えてくれ 鉄パイプでは納得できないよ >>597
こういうこと?
三国志には、邪馬台国は倭種の国であり、倭人は鯨面であり、その文様は地域や個人の地位によって多様だと書かれているが、
邪馬台国の住人は鯨面だとは書かれていないので、邪馬台国は鯨面ではないと断言できる。
入れ墨など顔の装飾文化が確認できる資料としては、人型埴輪があり、
畿内から出る人型埴輪には、入れ墨がほどこされているものがあるが、
人型埴輪の発生が4世紀末で、卑弥呼と同時代のファッションや風習の手がかりとしては弱い。
したがって、卑弥呼の時代の畿内は鯨面がないと断言できる。 0606番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW ff7f-hvPm)2023/04/06(木) 13:27:20.52ID:ou33Azdw0
0607番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW ff7f-hvPm)2023/04/06(木) 13:31:41.18ID:ou33Azdw0
>>425
鉄鏡は錆びるから運が良く無いと残らないよね
銅鏡は銘文や紋様からしてパチもんだし 邪馬台国が王朝だと思うかどうかでも、本拠地の推理は違ってくるな。
氏の概念が重んじられ、血統など王の継承ルールが確立している王朝であるならば、
固定された都も存在し、その都は倭人の領域内でもっとも経済的に栄えていたはずだ。
したがって、3世紀に最も栄えたことが出土物から確認できる畿内が最有力候補となる。
「鬼神を信じ国ごとに天神を祭る司祭を決めて天君と名付けあがめている」(三国志より)、といった状態であるならば、
王は血統で選ばれるわけではなく、選ばれた神に近そうな人がおわす場所は、最も経済的に栄えた場所とは限らない。
九州でも四国でも東海でも畿内でもよい。
0609番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW ff7f-hvPm)2023/04/06(木) 13:56:52.97ID:ou33Azdw0
都市国家毎に氏族神の居たウル王朝以前のシュメルみたいなもんよな
畿内に邪馬台国の都があり、半島や大陸への玄関口たる北九州を支配下におき、日本列島の文物や情報の流通をも支配し、魏による公孫討伐と半島支配復活の報に接して機敏に使者を送ったのなら、
それはもう古代国家だと思うんだな。
とうぜんに王の継承ルールが確立した王朝でもある。
であるならば帯方郡の役人にも、邪馬台国という王朝の成立や支配の正当性を主張し、役人も書き留めたはずだ。
半島諸国やその北の東北部諸国の記述と同じく、たとえば、邪馬台国の初代王は何という名で、その出自はとか、
現女王の卑弥呼は何代目で、いかなる正当性をもって即位したのか、
軍政はどうなっていて兵は何人動かせるのか、税制はどうなっているか、などなど、倭人の邪馬台国についても書いたはずだ。
だが、倭人の諸国は女王を共立しているとしかわからない。
古代王朝はまだ誕生してなかったのではないかな。
バラバラのクニの集合体なんだよ。
王朝がなければ都もないから、都を探しても共立司祭卑弥呼の居場所はわからない。
魏志倭人伝には邪馬台国の人々が顔や体に入墨をしていたとは書いていない
畿内は鉄器が出てこんらしいな
かといって弥生時代が後期になると石器も減っていくから研究者は困惑してるらしい
「これでどうやって戦争してたの? どうやって農耕してたの?」と
0613番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (テテンテンテン MM4f-eLsA)2023/04/06(木) 17:38:14.48ID:Fe8Sz/N/M
京都工芸繊維大学名誉教授の布目順郎氏
「全国の遺跡を調査した結果、弥生時代に限ると絹は北部九州からしか出土していない」
『魏志倭人伝』には、邪馬台国は絹の豊富な国だったことが詳しく述べられている
気象学で弥生時代の気象は非常に寒冷
弥生の小海退という海が寒さで2m低くなるほどだと日本地理院のボーリングで判明している
それでも魏志倭人伝には対馬、壱岐は寒さで穀物取れにくいとあるが邪馬台国は非常に豊かだとある
鉄器も数々出てきて絹も出てきて寒くても
穀物取れやすい穀倉地帯か温暖な地域が邪馬台国
0614番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ ff8f-9P2W)2023/04/06(木) 17:38:24.38ID:zf9ciDvb0
無視され続ける卑弥弓呼であった
>>611
魏志倭人伝には、倭人が入れ墨をしている、と書いてある。
邪馬台国は倭人の国であるとも、書いてある。 0616番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 7fe6-9P2W)2023/04/06(木) 18:11:44.46ID:2ZTW4dmp0
『隋書』の「?国(たいこく)」はヤマタイ国の事だよね
>>617
三国志の魏志の東夷伝の倭人の条(魏志倭人伝)からは、邪馬台国住人の入れ墨事情について、していないと断言できることは何もないよ。
韓と倭はいずれも入れ墨していると書かれているだけ。
倭人については、国の名は列挙されるも、国ごとに風習や文化の違いがあるのかないのか、書かれていない。
魏志倭人伝の記述から、邪馬台国の住人が入れ墨をしていないと断言できてしまうのは異常。 >>618
俺は入墨をしてないと言ってないぞ
倭人が入墨をしているというのを邪馬台国の人が入墨していると飛躍させてるのがおかしいだけ 0620番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (テテンテンテン MM4f-EtzC)2023/04/06(木) 18:42:47.93ID:1KuGnIJxM
畿内でも九州でも構わないが畿内説派が憤死する姿が見たいので九州説にベットする
>>619
ならばよい。
邪馬台国は入れ墨をしてないと断言しているのかと思った。
魏志倭人伝の記述からは、邪馬台国が倭種の国とあり、倭人は入れ墨をしているとある。
邪馬台国が倭人とは別種とも記述されてはいない。
素直に読む俺は、邪馬台国の住人も入れ墨をしていると推察するだけだ。 魏志倭人伝からは邪馬台国の人々が入墨をしていたかどうかはわからない
少し話がずれるけどワンピースの空白の100年は空白の4世紀がネタ元だよね
尾田栄一郎は1975年生まれでその頃は古代史ブームの最中
江上波夫「騎馬民族国家」1967年
松本清張「古代史疑」1968年
梅原猛「隠された十字架」1972年
高木彬光「邪馬台国の秘密」1972年
古田武彦「邪馬台国はなかった」1977年
こういった本が実家や図書館にあってワンピースのネタ元になった可能性はかなりあると思う
>>622
三国志からは、陳寿が
(1)倭人には韓の人々と同じく入れ墨の風習がある
(2)邪馬台国は倭人の国である
と書いた。
これ以上のことはわからない。 人型埴輪は、4世紀末に畿内に現れ、
顔に入れ墨をほどこしている。
3世紀には人型埴輪はまだない。
わかるのはここまでだ。
邪馬台国があった当時の倭国にはいくつかのクニが存在していたそうだが、邪馬台国はどこにあったにせよ、当時の倭国にあったクニの中では最大の大きさだったのであろうw
少なくとも魏志倭人伝に載ってるクニの中では最大だろうねw