小社会 星になった人 | 高知新聞
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コメットハンターの関勉さんが発見命名した小惑星は223に上る。その40番目に「村岡」という星がある。2010年に55歳で急逝した天体軌道計算の専門家、村岡健治さんにちなむ。

2人の出会いは村岡さんが20歳の時。高知市の実家の写真店に、関さんが星を撮影したフィルムを持って訪れた。少年時代に見た池谷・関彗星(すいせい)がきっかけで天体写真を撮り始めた村岡さん。「君も星をやっていますか」と話が弾み、以来、関さん宅を足しげく訪ねることに。

そこで軌道計算の魅力に開眼した。地球に近づく彗星の軌道や明るさを割り出し、いつどこでどう見えるかを予測する。最初は電卓、後にはパソコンで、宇宙の営みを机上で解明する作業に独学で没頭した。

小学生で父親を亡くし、高校を中退した「元祖フリーターのインドア天文家」が手掛ける彗星年表は、研究者の観測に欠かせない資料となる。後に日本天文学会の天文功労賞も受賞。訃報に接し関さんは「世界でも5人といない優秀な軌道計算者。天文界の縁の下の力持ち」と本紙に最大級の追悼を寄せている。

このたび関さんの旧著「未知の星を求めて」が新版として復刊された。本はまだ見ぬ世界への扉でもある。関さんが開いた扉から天文界に羽ばたいた後進が、それこそきら星のごとくいる。

本物の星になった人もいる。本日8日は、遠く輝く小惑星に永遠に名を刻む村岡さんの命日である。