■ ハーバー・ボッシュ法 〜アンモニアの合成と戦争〜

アンモニアの合成は、20世紀初めの頃の、最も重要視された「窒素固定工業」の
最先端の目標であった。
当時、ドイツ・オーストリアは窒素肥料、医薬品、爆薬などの原料は、すべて
南米産のチリ硝石に頼っていた。アンモニア合成成功の報に接したドイツの皇帝
ヴィルヘルム2世は宣戦布告に踏み切った。
第一次世界大戦の戦勝国の1員であった日本は戦後ただちにこの製法を
持ち帰り、呉市の海軍工廠で軍艦の砲身を用いて高圧装置を作らせたが
思わしくなかった。その後さまざまな改良を加えた結果、日本は東洋の
全肥料をまかなう工業国になった。
アンモニアの工業的合成法を発明したハーバーは、ドイツの理論家学者で
ベルリン大学教授、Kaisaer-Wiljerm研究所長兼務。アンモニア合成が
発熱反応であるという最大の難点を克服した研究は偉大である。
ボッシュは化学工業技術者で当時BASF社の主任技師であった。
触媒研究、高圧装置の開発に貢献した。
ハーバーは1918年にノーベル化学賞、ボッシュは1931年に
ノーベル化学賞を受賞している。

ハーバー、ボッシュによるこの方法は、水と石炭と空気とからパンを
作る方法とも言われた。

パンの原料である小麦を始めとして農作物を育てるには窒素分を
含む肥料の十分な供給が不可欠だが、その窒素を供給する
化学肥料を生成するのにハーバー・ボッシュ法が使えるため、
この方法の発見によって農作物の収穫量は飛躍的に増加した。

化学肥料の誕生以前は、単位面積あたりの農作物の量に限界があるため、
農作物の量が人口増加に追いつかず、人類は常に貧困に悩まされるという
歴然とした事実があった(マルサスの限界)[4]。

しかしハーバー・ボッシュ法による窒素の化学肥料の誕生や
過リン酸石灰によるリンの化学肥料の誕生により、史上初めて
この限界が克服され、人口爆発が起こった[4]。

本法によるアンモニア合成法の開発以降、生物体としてのヒトの
バイオマスを従来よりもはるかに多い量で保障するだけの窒素化合物が
世界中の農地生態系に供給され、世界の人口は急速に増加した。
現在では地球の生態系において最大の窒素固定源となっている。

しかしこの方法は同時に平時には肥料を、戦時には火薬を
空気から作るとも形容され、爆薬の原料となる硝酸の大量生産を
可能にしたことからその後の戦争が長引く要因を作った。例として
、この方法でドイツは、第一次世界大戦で使用した火薬の原料の
窒素化合物の全てを国内で調達できた(火薬・爆薬等、参照)。

さらに、農地生態系から直接間接双方の様々な形で、他の生態系に
窒素化合物が大量に流出しており、地球全体の生態系への窒素化合物の
過剰供給をも引き起こしている。この現象は、地球規模の環境破壊の
一端を成しているのではないかとする懸念も生じている[5]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%B3%95