卑弥呼は北部九州や吉備主導で擁立した
畿内か九州か−。古代史最大の謎として江戸時代から続く邪馬台国(やまたいこく)の所在地論争。
「倭国乱れ、何年も攻め合った。そこで女子を共立して王とした。名は卑弥呼という」。中国の歴史書・魏志(ぎし)倭人伝は卑弥呼誕生の経緯をこう記す。2世紀末、九州から畿内にかけて大規模な戦乱があり、各地の王が卑弥呼を擁立したとされている。
しかし、「倭国乱」の記述について寺沢さんは、西日本各地の遺跡を精査し「2世紀後半〜末に大規模な戦乱の痕跡はみられない」と指摘する。弥生時代、矢じりや剣が突き刺さった人骨などが発掘されれば、戦乱の跡と推測される。北部九州を中心に弥生時代前期にはこうした人骨が多数見つかっているが、2世紀後半に西日本一帯で急増した状況はみられないという。
そーす
https://www.sankei.com/article/20220106-UNOIQWDJJJKDJA2V2MV7L5FUIE/