dメニューニュース:いまの皇室の足元が揺らいでいる理由は何か(日刊ゲンダイDIGITAL)
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【皇室のトリビア】#53

 眞子さんの結婚問題が批判されていた当初、さすがに秋篠宮さまへの批判にはならないだろうと言われていたのが、いまや現実になっている。「自由すぎた子育て」「家長としての権威失墜」など、秋篠宮さまに厳しい声が多い。それを見ていると、今後、何がきっかけで天皇批判につながるかわからない怖さを感じる。

 象徴天皇制は国民に支えられていることは確かだが、国民の人気によって天皇の評価がコロコロ変わるようになれば深刻な問題だ。人気というのは群集心理のようなものである。群衆は保守的というか、多数に同調した方が安心できるから、どうしても同調圧力が強くなる。田島道治の「昭和天皇拝謁記」の中で、昭和天皇は開戦に至った経緯について、たびたび軍の「勢い」を止められなかったからと述べているが、戦前の天皇ですらどうにもできなかった「勢い」こそ、群集心理が生み出したものだろう。未来の天皇が、人気という「勢い」に右往左往するなんて、あってはならないことである。

 最近「ハイブリッド戦」といって、相手国を分断して社会に亀裂を起こさせるために偽情報を流すことが常態化しているそうだ。仮に中国が天皇の権威を失墜させるために偽情報をメディアやSNSに流したとする。国民が人気に右顧左眄していると、簡単にだまされて皇室批判の大合唱になりかねない。そうなったら象徴天皇制は維持できなくなるだろう。

 戦前は、皇族の結婚相手は同族(皇族)か勅旨により認められた華族と定められていた。天皇が認めた華族とは近衛家、九条家など五摂家のことである。五摂家なんて庶民には縁のない雲上人のような存在だから、それだけでも天皇は別世界の人だった。そのうえ明治政府は、天皇家の「万世一系」を演出するために、義務教育をはじめあらゆる手段を利用した。各地の古墳を大した根拠もなく天皇陵にしてしまったのもこの時期だ。そのおかげで国民の間に、天皇はさらに特別な存在として刷り込まれていった。

 ところが日本の敗戦によって、私たちは皆平等になった。今それを疑う人はいないだろう。平等である相手に対して、「畏敬」や「敬意」を表したくなる人物といえば、よほど傑出した人物ではないと無理だ。それを、天皇だからといって、いまはかなえられる時代ではない。

■「特別な存在」や「国民に寄り添う」に続く次の天皇像がつくれない危機ともがき

「平民」から嫁いできた美智子さまは大スターとして国民の歓迎を受けたが、美智子さまの場合は「平民」といってもハードルは低かったともいえる。私たちと同じ民間人といっても、財閥系大企業の令嬢であり、聖心女子大を首席で卒業したという、一般庶民には手の届かない女性だったからだ。もちろんそれだけでなく、皇后になると天皇と共に「国民に寄り添う天皇」を試行錯誤されながら象徴天皇像を築き上げたのだから、国民はそんな両陛下に自然と頭が下がったのだろう。

 時代に合わせて、これからも皇室はさらに開かれていくだろうが、それでも天皇は特別な存在でなければならない。何が「特別な存在」なのかは、その時代で変わってくるのだろうが、もし国民の人気に左右されるようなことにでもなれば、それこそ象徴天皇制を不安定にさせる。仮に「愛子天皇」が実現したとしても、国民の人気に一喜一憂しないといけないなんて、こんなバカバカしいことはない。日本国憲法下ではすべての国民は平等だが、天皇は例外なのだ。国民に人気があるかどうかに関係なく、天皇が国民から敬愛されるにはどう演出すべきか。上皇上皇后が築いた「国民に寄り添う天皇」を超える新たな天皇像が求められているのかもしれない。

 時代に歩調を合わせるのはいいが、時代に流された皇室は消えてしまいかねない。