ドラクエほかゲーム音楽ってクラシック音楽好きにとってはどうなの? [565880904]
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BBCプロムスで初のゲーム音楽―日本生まれの楽曲演奏
(ロンドン 5月19日 時事)英国のクラシック音楽の祭典「BBCプロムス」で今年、初めてゲーム音楽が演奏される。主催者の公共放送BBCが発表した。日本生まれの人気ゲーム「キングダムハーツ」や「ワンダと巨像」などの楽曲が披露される。
ゲーム音楽の日は8月1日。ロンドン西部のロイヤル・アルバート・ホールで、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団が演奏する。
他の演目は追って公表される。英紙「ガーディアン」は「ポケットモンスター(ポケモン)」や「ゼルダの伝説」などが演奏されると報じた。
ゲーム音楽は昨年の東京五輪の開会式でも演奏されたほか、世界各地でコンサートが開かれている。BBCは「21世紀にゲームは最も鮮やかで野心的、独創的な音楽の幾つかを世界中の情熱的な聴衆のために生み出している」と述べた。
http://www.news-digest.co.uk/news/news/uk-news/22296-2022-05-19.html オケ方面よく知らないんだけど
ゲーム音楽が手っ取り早く稼げるメシのタネなんでしょ?現実として >>14
新しい層を開拓(ビジネスに)するための選択肢だっただけだろう
金出す古典的なものが好きな層なんてだんだん死滅してきてるだろうし クラシックの作曲家は別に高尚な作品ばかり作ってるわけでなく
昔から依頼あれば機会音楽作って応えてきた
というかそもそも機会音楽を作ることがベースにある
メシのタネだもの >>15
スタートはそうだろうね
そのうちハイソな文化に憧れられた中間層が没落して
ゲーム好きしか確実にカネを落としてくれなくなった ゲーム音楽を擁護するわけじゃないが「クラシックさえあれば他の音楽は要らん😤」ってイキってるクラオタも嫌いだわ 幸福な環境なしには芸術家としての野心は果たせない
俺個人はゲーム好きには申し訳ないけど
すぎやまこういちを3回聞くあいだに
バッハやモーツァルトやベートーヴェンを1000回聞いてる
>>20
実はそれ俺なんだよね…正確には要らんじゃなくて
クラシック音楽好きになると他のジャンルがどーでもよくなる、だけど >>21
知ってるよ
お前みたいなクラオタが嫌いだから書いた ゲーム音楽と一緒にジブリアニメの音楽もそうだな
俺らの世代のインストの代表といえばこれら クラシック好きなひとってイングヴェイのことどう思ってんの? >>22
俺はオタじゃないよ
音楽できないくせにとか音楽知らないくせにとかよく言われるぐらいで
俺も音楽そのものやクラシック音楽そのものは特にどーでもよい ゲーム音楽はループすること前提で作られてるからクラシック音楽のようなストーリー性や抑揚がない
バックミュージックとして延々と垂れ流すには向いてるが純粋に音楽として聞くとクラシック音楽に劣る すぎやまこういちはクラシック曲をもろ・・・・・アレだ、リスペクトしてた時期は良かったよね ネットがない時代だから分からなかったけど色々パクってるような気がする ゲーム音楽とかアニメ音楽は体験や視覚情報みたいな他の五感と結びついてるから
より体に染みつくのかもな >>26
ゲームのことほんと知らないんだけど
ゲームでもたとえばドラクエに対してファイファン?FF?だと
それこそストーリーとか抑揚とかになるんじゃないの?
そういうファイファン的な路線だと
そういうループじゃないアートな表現を映像ともども目指すとかじゃないの? よくバッハのこのつべクラシックスレで貼るんだけど
それに対してよく返ってくるのが「ゲーム音楽だな」的なレス
バッハの「小フーガト短調」BWV578
(スティーヴン・マリノフスキorgan&animation)
https://youtu.be/ddbxFi3-UO4 結局ゲーム音楽ってリピートだからリフ重視
だからコンサートで編曲されて演奏されてたりするとリフ以外のところはまじでつまらん >>27
ドラクエ11の曲は全てゴミ
1つも記憶に残ってない あとゾーマ戦は神みたいな流れのときにこれ貼って好評だったり
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57より
最終第3楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ(速く、ただし過度にならずに)
(ラン・ランpiano[LIVE])
https://youtu.be/efA1S8hyBms 最初にオケ用の曲があってそこからゲーム向けに落とし込んだ、というのは嘘だろう
交響組曲で聴くと、曲間の繋がりが不自然だったり終わり方が無理やりだったりする クラシックばっか聴いてるけどゲーム音楽も大好き
ゲーム音楽のいいところは音楽単体というよりそのときの体験との相乗効果にあると思う クラシックってのは所詮は陰キャの音楽だ陽キャはjpopとかヒップホップとかラップが
好きでそういう明るさが女性にも受けてモテモテなんだよね。普通の女性はクラシック
とかジャズとか好きな男を哀れな目で見てるお前等の好きな女も陽キャのリア充トーク
でメロメロになっておっぱい揉み揉みされてるよ >>34は7:05からプレスト(急速に)で締められる
このカタルシスはラスボス撃破でしょとか伝えてみたりね ドラクエ11の最初のフィールド音楽無茶苦茶やかましくて草生えた
ドッパーンドッパーンパンパカパーンみたいなやつ >>37
まあそうなるよね、体験
特にロープレの長い時間をかけた末のみたいなところね
それをやらないまま音楽だけ批評されても、と 何がクラシックだよいつまで同じ曲聞いてんだよアホか クラシックの有名な論争に
絶対音楽vs標題音楽というのがあるんだけど
クラシック音楽の他と劃するクラシック音楽たるゆえんは
聴く側に絶対音楽的なものに対して受け容れられる
準備、態度があるかどうかではとは思う >>38
こういう改行がおかしい奴って大抵は内容もおかしいよね
脳みそどうなってんだ? >>43
これは良いレスだよ
同じ曲ばっかり聴いたり弾いたりの何がいいのか…しごく真っ当な疑問だ ただしその問いは
「同じ」とはなにか、ほんとに「同じ」なのか、
そもそも音楽において「同じ」はありえるのか…などまで、
やがて行き着くことなしには良き問いではなくなってしまう >>47
ワッチョイ知らないの?
俺に求める前にまずじぶんでできることやりなよ
他人はコントロールできなくとも自分のことは自由にできるのだから クラシックの教養ってそのまま高学歴の裏付けだからね
音楽ってのは人間性そのものだよ
陳腐なジャップPOP聞いてる奴は只のマイルドヤンキーだし
ヤンキー同士で朽ち果てていけばそれでいいと思うよ
ただ低劣な人生とは思うけどね 「同じ」論は楽譜についての捉え方もそうだよね
これもクラシックスレの頻出レスだけど
楽譜どおりに弾けばいいんじゃないの?というのがある ゲーム通して好きになったクラシック曲もあるな
ベートーベンの月光とか
ゲーマーなら何で出てきたか分かると思うけどw
あれも普通に聴いてたら特に印象に残らなかった曲だろうけどゲームの演出通してすごい印象に残ったんだよな >>53
こういうのはありだ
入り口に良し悪しはない
ただし
いつまでもゲーム音楽でいいの?ともかならず言うから嫌われるのだが 最近、丸山眞男の「音楽との対話」を読んだんだけど
やはり西欧思想の基礎は音楽であるとよくわかった
科学から芸術まで、音楽が基底にないと発達しないんだよ
だからあらゆる学者・創作者って音楽に詳しいでしょ
陽キャ陰キャとかそんな低次元な話じゃなく
国の文明度がかかってるんだよ音楽には >>55
それだったか忘れたけど俺も丸山の文春新書だかの奴むかし読んだよ
東大の教え子の中野某だっけ?のちケンウッドかパイオニアかに就職のひとが聞き手ね 丸山はワーグナーキチガイ
ドイツ政治を研究しナチズムを批判する自分が
同時にそんなキチガイでもあるということをどう捉えるか煩悶したり >>31
フーガならこっちでしょ
悪魔城ドラキュラ感ある ロンドンフィルはどんな心境で演ってたの
なんやコレみたいに内心思うものなの >>59はあの「鼻から牛乳~♪」だけど
フーガはそこではなく2:10からね >>30
曲はサントラのどれかが流れる訳だから全く同じフレーズをまるで違う抑揚で演奏させるのはかなり大変だと思う
まあ今ならニュアンス変えたバージョンを沢山作っておいて場面ごとに当てるのは可能ではあるけどやはり手間がかかるし
個人的には、ストーリーが進むにつれ同じサントラが流れてるのにプレイヤーの感じ方が変わってるというゲームならでは体験の方が面白いと思う
よく言われるのがFF10のオープニング ロンドンフィルは割と何でもやるな
Greatest Video Game Musicなんての出してたり フーガは日本語だと「遁走曲」とか訳されるけど
(遁走は逃げる、fugaはrefugeなどと同根)
ひとつの音型が提示されると
すかさずおなじ音型が違う高さで真似されて
違う音型が出てはまた真似されて
少し休憩したのちまた抜きつ抜かれつになって
音型もひっくり返ったり逆行したり
その限定されたかたちがカノン >>64
なるほどね、やはりゲーム音楽には「体験」がだいじね
不用意に音楽だけで語ってはいけないのだな >>55
どういうこと?
西欧の民謡でも聞けばいいの? >>5
あれこそしょうもない演奏効果しかない
クレッシェンドが失笑レベル そしてそのフーガのような技術を
「対位法counterpoint/Kontrapunkt」という
対位法は各パートがそれぞれ独立、独自性を保ったまま
それらを同時に組み合わせて音楽たりえる方法を探る
しかしバッハがみずからの対位法を極めていた時期は
実はそういう音楽は時代遅れになりつつあって
独立ではなく主従の調和を目指す流れになっていた
前者をポリフォニーpolyphony、後者をホモフォニーhomophonyとし、
この概念は文学批評などにも応用された >>71
良いレスだ
クラシック音楽を「西欧の民謡」と捉えることはとてもだいじだ
クラシック音楽そのものが普遍なのではない クラシック音楽がみずからを普遍と捉えることの傲慢に無自覚になったとき
民族性を重要視する流れが始まる
俺たちがきみたちを発見し、表現するのだと だから問いはこう変形しなければならない
なぜ単なるひとつの「民謡」的な地域であった西欧が
やがて世界を席巻することになるのかと
(西欧も更に慎重に区分けしないといけないがいまは措く)
かつての大帝国、中国、イスラムでも成し得なかったというのに そしてすかさず、ここはゲーム音楽スレだ、
これを問わねば
ゲームやアニメの席巻については?
そもそもそれはほんとうに席巻しているのか? そしてドラゴンもクエストも
「民族」的な憧憬の顕れだったりする ありゃりゃスマホのバッテリがもうだめぽ
またいつかのクラシック音楽スレにて クラシックというのは、曲の構成を聴く音楽なんだよ
対位法とかソナタ形式とか
ゲーム音楽や映画音楽はメロディだけなので、聴いて綺麗だなとか激しいなと思うことはあってもすぐに飽きてしまう
別に貶しているわけではなく、そもそもが音楽として目指すものが違う ふだん使わないスマホから
>>80
「構成」を俺なら「形式」とするけど、
まあ同じやね、同意やね
音楽を「表現」から語ることのなんと多いこと、多いこと
…しかしだ
「表現」のない「形式」はあれど
「形式」のない「表現」などない 「形式」の権化は哲学だけど
これもクラシックスレで俺がよく引く以下のことを
ヘーゲルはその大部の主著「精神現象学」でこう語る
動物から人間を分かつとき…それは
意識から自己意識へと進むときだ
のちサルトルへと連なる「即自an sich」から「対自fur sich」のこと
ヘーゲルに戻ればそこから人間は「理性」を持つ…まあここまでは
高校倫理をまじめに受けてればすぐ分かる ヘーゲルの巨大さはここからだ
繰り返すとヘーゲルは
「意識→自己意識→理性」と説いた
説いたがヘーゲルは更に話を継ぐ
継ぐのだがそれがなんともふしぎなのだ
すなわち、理性を経て人間は次に
「精神的な動物の王国Das geistige Tierreich/spiritual animal kingdom」へと至るという 先取りするとそんな「王国」の民が
例えばゲームとか好きそうということになる
きょうび超高学歴な御仁さえ
ゲームを熱く語る
ここから分かること
学歴すなわち理性ではないということ 古今東西の歴史が証明していること
人間はいつだって人間であることをやめたがってる
AIだのシンギュラリティだのなんて別に新しい問いではない 嫌儲では西さんと揶揄される東浩紀は
それでもどのモメンよりも立派だと思うよ
「動物化」は言わずもがな
石田英敬との「新記号論」でもちゃんとこのあたり踏まえてる
ゲームなど電子メディアの人間への影響をナメちゃあかんよと 理性なんて人間別に求めてない
理性なんてもの人間すぐに倦む
仮に理性に至っちゃったのなら
倦んでる俺らはそうねちゃちゃっと操ってみようか
気の利いた広告とともにね
そんな俺らに靡かないきゃつらは…まあ無視、無視 文字(より正確には活字)メディアが
世界からみずからを切り離すのに対し
電子メディアは世界への即時の反応、反射 これは俺も例外ではないのだが
ネット担ってなんでみんな口語でものを書くのか
例えばいまの俺のこんな「口調」を
紙の上にペンで書いてみな
あまりの違和感にたじろぐ
このとき人間がメディアを選び操るどころか
メディアが人間を操り規定している 電子メディアは人間と世界とを短絡shortさせる
動物が世界と短絡しているように
ヘーゲルに匹敵する巨大な存在感を以てハイデガーも言う
「トカゲは貧しい世界を持つ」と
言い換えればトカゲは人間になりたがってる
なのに人間はというときょうびトカゲになりたがってる かつて小卒のばあちゃんは言った
「テレビなんて見てるとバカになるよ」
「いい大人がアニメやゲームなんて」など
いまやどのオトナも言わなくなった クラシックは関わってるやつとことごとく合わなくてそのせいでクラシックまで嫌いになったわ どれだけクラシック音楽や哲学に精通していても人間性が終わっていたら何も意味がないということを教えてくれるスレ >>97
俺を見つけてのそおゆうレスも多いのだけど
でも「哲学に精通」…精通まではしてなくても
(オトコとしては精通し出なきゃダメよん)
でも哲学的なことに慣れてると
そおゆうレスは恥ずかしくなってできないはずなのよ
なぜか…そのレスはすなわち
クラシック音楽より俺のことがもっと知りたいと言ってることに等しいから もちろん>>98も同じ穴のムジナ
「意味がない」どころか意味を求めてる
クラシックではなく俺にね
きみには何度も伝えてるでしょ
俺を分析してるヒマがあるならクラシック音楽をひとつでも多く聞きなって >>80
ソナタは構成だけど
対位法って作曲の技法じゃねーの? 「形式」もまた技法なのよ
だからこそソナタはやがて名ばかりのものとなる 提示→展開→再現
更に導入や終結を別に付け加えたり
そんな典型をどう壊そうかと思案したり
…なんでこんなことに必死になるのだろう、人間って クラシック音楽に興味あるんだけど
でもあいつみたいな奴ばかりなのが癪なんだよなあ
…このとき、このひとは、
クラシック音楽なんてほんとはどーでもよいのよ
ま、俺もクラシック音楽なんてどーでもよいのだけれど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています