「ちょっとトイレ、行ってくる」
仲間と一緒にいた1階のユッケ店を出て、彼女はトイレに向かった。午前1時20分。真夜中を過ぎていたが江南駅一帯は不夜城だ。
「あれ? 共用なの?」ビルの1階と2階の間にあるトイレは男女共用だった。でも人目のない場所ってわけじゃないし、繁華街のど真ん中なんだから。
そう安心してトイレに入っていった彼女を待っていたのは、凶器を手にした男性だった。彼女は二度とトイレから出られなかった。

2016年5月17日、江南(カンナム)駅殺人事件が起きた。その日共用トイレにこもっていた犯人は、6人の男性が入ってきても何もせず見送った。
そして最初に入ってきた女性を何度もナイフで切りつけ、殺した。逮捕された犯人は、「女たちがいつも自分を無視していた」と陳述した。
明白な「女性嫌悪」犯罪だった。それにもかかわらず、新聞やテレビはこれを統合失調症患者による「無差別犯罪」とした。
一部の犯罪専門家も、この事件はストーキングやデートDVのような反復性や計画性がないため、「女性嫌悪」犯罪と断定することはできないと口添えした。

果たしてそうだろうか? 犯人の精神状態が正常でなかったとはいっても、6人の男性には手を出さない程度の判断力があった。
あるいは女性嫌悪が彼の精神疾患の一部であった、もしくは、または精神疾患以上に根深かったと見ることもできる。
また女性嫌悪は親しい関係の相手にだけ向けられるものとは限らず、不特定多数の女性も対象となる。

手に手をとって公権力とメディアが女性嫌悪を否定したおかげで、女たちは皮肉にも韓国社会の女性嫌悪をこれまでにないほどはっきりと認識することになった。

「私だったかもしれない!」

犯人の計画性のなさがかえって、大多数の韓国女性の危機感を極度に高めていった。
数えきれないほど通ってきた場所、いつも友だちと遊んでいる繁華街で、一面識もなかった男から、私も殺されるかもしれないのだ。
いくら偉くなったつもりでも、女性という階級に向けられる暴力と差別から、私もやはり逃れることはできないのだ。

こうして2016年「江南駅女性嫌悪殺人事件」は、私も含めフェミニズムに関心のなかった多くの女性たちの集団的覚醒を引き起こした。
最も生理的で脆弱な空間であるトイレから、韓国のフェミニズム大衆化が始まったのだ。

2018年、盗撮糾弾のための「空気を読まない勇気」デモにおいても、「トイレ」はホットな話題だった。
2010年前半からネット上で一般男性による一般女性の盗撮映像が激増したが、そこにはトイレ「モルカ(隠しカメラ/Spy Cam)」があった。
今でこそ韓流(?)の影響で他の国でもトイレ「モルカ」が摘発されているが、当時は韓国だけの問題だった。

地下鉄、商店、大学などの公共女子トイレは「モルカ」設置によってあちこちに穴が開けられ、それを嫌でも目にせずにはいられない女たちにとって、トイレは恐怖の対象だった。
しかし加害者への処罰は軽いものだった。累計参加者数21万人。歴史上最大規模の女性によるデモが何度も行われたが、文在寅大統領(当時)はついに沈黙したままだった。
法も公権力も女たちのセーフガード(安全のための措置)に関心がないのだと、韓国の女たちは再び気づいた。

2022年、パンデミックが続き、大統領が替わった。女たちにとってトイレは、あのときよりも安全な空間になっただろうか? 
数日前には小学校6年生の男子児童が、女子トイレで同じ学校の女子児童を盗撮したというニュースが流れた。男子児童のスマホには他の女子児童を盗撮した映像もあったという。
しかし学校暴力対策委員会〔訳注・韓国で学校ごとに設置されている委員会で、教師、法律家、その他専門家で構成される〕が加害男子児童に下した処分は、3時間の校内奉仕活動がすべてだった。

女子トイレを「誰でもトイレ」に置き換えれば、このような女性への暴力はなくなるだろうか? 
米国リベラルのスタイルにのっとって女性を女性と呼ばず「子宮所持者」「授乳可能な人」「座っておしっこする人」などと呼べば、数千年間続いてきた女性への暴力が解消されるだろうか?

いくらオンラインで過ごす時間が長くなったとはいえ、私たちは一日に何度かご飯を食べ、おしっこをして、うんこもして、眠らずにはいられない生物だ。
現在のように女性の排せつ権、中絶権が脅威にさらされている以上、たとえ宇宙戦争が起きたとしても女性の身体は変わらず熾烈な戦場であり続けるだろう。

トイレの安全という最も基本的な権利を守れないまま、性別による雇用の平等、賃金平等、政治的平等のために戦うことができるだろうか?

キム・ジナ

https://www.lovepiececlub.com/column/18063.html