米軍による空襲は当時、大都市に次いで中小都市にも及んでおり、この夜、静岡県沼津市、大分市、三重県桑名市とともに平塚が標的となった。同博物館によると、平塚ではB29爆撃機133機が一晩で40万発以上の焼夷(しょうい)弾を投下。8千戸以上が全焼し、少なくとも362人が亡くなった。死因の75%は焼夷弾の直撃だったという。

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