天日槍が上陸してから約200年後
[ソース:播磨国風土記「天日槍は神代に渡来してきた。」]
当時の日本は未だ在地の国津神系神道が支配的だった

そこで仁徳天皇らは自らの支配を正当化するため、自分の祖の天日槍を彦火明(大国主大神の子ども『参照:播磨国風土記』)であると言い始める

しかし武烈天皇で断絶、継いだ継体天皇は天皇家の神道(天津神、高天原)と在地の神道(国津神)の融合を図り
祖先である彦火明の名前を
【天照】【国照】彦天火明櫛玉饒速日尊
と改名

こういう経緯があるから、先代旧事本紀には不自然にも(饒速日命が神武天皇の一世代前だから神武天皇の二、三世代前にあたる天火明命と同一神という事は“記紀”を信じるならばありえない)彦火明は饒速日と同一神と書いてあるのだ

これでツヌガアラシト=天日槍=彦火明=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊=ニギハヤヒに決定

で継体期は物部の最盛期だったから中臣はその恩恵に預かるため祖先を饒速日(天日槍)の子孫であった村雲に変更
しかし物部が滅ぼされ蘇我が興隆
物部の恩恵に預かれなくなり蘇我に睨まれるようになるので祖の村雲を一文字変えて押雲に変更(この時にコヤネ誕生か)



その後の倭は百済回復戦争に負けてしまう
すると辰韓から来たニギハヤヒ(天日槍)が皇祖だってのは記紀編纂した天武朝にとって都合が悪くなるわけ
よってニニギノミコトの存在を付け足し、こっちが皇統ですよってことにした

だから、最初から大和に天孫降臨して兄弟で力をあわせず別々に来るという不自然な話になったんだよね
https://www.kiyond.com/hiboko.html