中国人が「そばを食べない」理由、蕎麦の原産国なのになぜ?

 食後にそば湯を飲みながら、ふと不思議に思った。昔から、日本は中国山西省からそばを輸入してきたと聞いている。痩せた土地が多い山西省にはそばしか作れないところが多い。しかし、山西省ではおいしいそば麺の話はあまり聞かない。拙著『中国全省を読む地図』とその続編の『「中国全省を読む」事典』(ともに新潮文庫)でも、山西省を紹介するとき、そばにはまったく触れなかった。

 一体、なぜ「そば」は中国では広まらなかったのだろうか。

「そば」が中国で広まらなかった理由は「配給」にあり
 毛沢東時代の中国では、経済発展の遅れにより、長い間、中国国民は配給制を代表とする耐乏生活を強いられた。食糧や食品を買うにも「糧票」と呼ばれる食糧配給券を提出しなければならなかった。

 当時、北京などの北方では、その食糧配給券はさらに「粗糧票」と「細糧票」に分かれていた。前者では主にトウモロコシ、アワ、ソバ、コーリャン、イモ、大豆などの穀類・豆類とその加工品しか買えない。後者は精米、小麦粉とその加工品を買うのに使われる。今でこそ、粗糧は健康に良いと持ち上げられているが、肉食の生活が少なく、食用油の供給も非常に厳しく制限されていた配給制経済年代には、粗糧は敬遠される存在だった。

 例えば、上海では、配給枠以内なら、パン、マントウ、麺類、ご飯のどれでも自由に選んで買うことができる。しかし、北京では、米と小麦粉類を分けてそれぞれの配給額を制限していた。具体的な数字は忘れたが、例えば15キロの配給額のうち、米は6キロ、小麦粉類は9キロといった具合に内容と量を制限されていた。

 主食が米の南方で生まれ育った同僚のなかには、生まれてはじめて北方に来た人もおり、小麦粉を主食とする生活に相当な戸惑いを覚えていたようだ。私は青春時代に黒龍江省で数年間生活していたから、むしろマントウのある生活にも慣れている。それを知った女性の同僚から、小麦粉類購入用食券を私の米購入用食券と交換しないかと相談を持ちかけられたこともある。このような配給制は1990年初期まで続いた。

 だから、長い間、中国人にとってのそばは「粗糧」のそばでしかなかった。

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