『火垂るの墓』の物語に「ありえない」の意見? 清太たちは「死ぬはずない」

5/2(火) 20:25配信

■清太がしっかりしていれば「バッドエンドを迎えなかった説」も

『火垂るの墓』は高畑勲監督によって1988年4月にアニメ映画化された際に、『となりのトトロ』と同時上映されました。そのため『トトロ』のファンタジックな世界観に魅了された直後、『火垂るの墓』を見て、リアルな惨劇にトラウマ級の衝撃を受けた人も少なくありません。そんなトラウマ作品として有名な『火垂るの墓』の主人公・清太は、最終的に死んでしまうのですが、一部で「本来は死なずに済んだはず」と言われています。

 物語の舞台は1945年兵庫県神戸市・西宮市近郊、主人公・清太は14歳で、いわゆるエリート軍国少年で海軍大佐の父を持ちます。将校の大佐の息子ということは、清太は上流階級のお坊ちゃんということです。神戸大空襲の戦禍で母を失い、4歳の妹・節子と終戦前後の混乱のなかを必死で生き抜こうと坑がいますが、無惨な最期を迎えてしまいます。

 同作のターニングポイントとなったシーンを振り返っていくと、まず空襲で清太と節子は母と家を失い、西宮の親戚の叔母さんの家に居候することになりました。しかし、ご飯は少ししかもらえなかったり、ことあるごとに叱られたりと、親戚の冷たい態度がエスカレートしていきます。居づらくなった清太たちは親戚の家を出ていき、最終的には飢餓状態になり、清太も節子も報われない最期を迎えました。

 しかし見方によっては、清太は「真摯な行動が取れていなかった」とも考えられます。例えば清太は親戚の家で寝食の世話になりながらも、学校に行かないばかりか働きもせず、家事も手伝わずに無為な生活を過ごしていました。

 その上、清太はお礼もせずに食事をもらいながら文句も言っていたため、親戚からすれば態度が悪いと感じても不思議ではありません。おばさんから再三に渡り注意を受けるも、清太の態度や行動は変わりませんでした。

 さらにおばさんの娘が「お国のために」働いているなか、世話になっている清太は親戚の善意に甘えたままです。もっと清太が親戚たちに誠意を見せていれば、バッドエンドを迎えなかったという意見が出てくるのも仕方ないかもしれません。

 同作に対する意見として「親戚の対応がひどい」という声が多いのは事実ですが、清太を改心させたくて厳しく接していたとも考えられないでしょうか。実際にふたりが出ていく時は、親戚のおばさんが心配そうな表情を浮かべながら見送っていたため、「敢えて厳しく接していた説」の可能性は否定できません。

 海軍のエリートの息子であるプライドや、思春期のさまざまな感情が重なったことが清太の怠慢な態度につながり、親戚もそれを踏まえて接してくれたら違う展開になっていたでしょう。次回視聴する際に親戚側の目線に立てば、清太に対する印象がガラッと変わるかもしれません。

 ちなみに高畑監督は公開当時の雑誌「アニメージュ1988年5月号」で、「清太たちの死は全体主義に逆らったためであり、現代人が叔母に反感を覚え、清太に感情移入できる理由はそこにある」として、「いつかまた全体主義の時代になり、逆に清太が糾弾されるかもしれない。それが恐ろしい」と語っていました。また、映画のパンフレットでは、高畑監督は「『火垂るの墓』の清太少年は、私には、まるで現代の少年がタイムスリップして、あの不幸な時代にまぎれこんでしまったように思えてならない」とも語っていました。戦争映画として見て、清太の行動に違和感を覚える観客が出るのも、ある意味高畑監督の狙い通りと言えるでしょう。

 そして、「軍事マニア」としても有名な宮崎駿監督も、清太の描かれ方に対してコメントしています。『風の谷のナウシカ』の解説本「ナウシカ解読」でのコメントですが、意訳すると宮崎監督「海軍の互助組織は強力で、士官が死んだらその子供を探し出してでも食わせるから有り得ない話」と指摘しています。清太は本来、海軍将校の子供であるため、餓死という惨めな最期を迎えるのは、当時に詳しい人の目から見ても、やはりおかしいそうです。

「子供のときは清太にひたすら同情していた」「思春期に見て清太の言動にイライラしたけど、大人になって観返したら、そもそもこんな状況(戦争)になっていることが悪いとやるせない気分になった」などなど、見る年齢によっても意見が変わる『火垂るの墓』は、今後もTVで定期的に放送され続けるでしょう。同作を改めて鑑賞する際は、清太の行動や心理に注目してみてはいかがでしょうか。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/5fba3b8af5366b987874f3ced6f6419d30c1d750