「精神病」のレッテル 告発者、名誉回復できず【最後の砦 刑事司法と再審④/第1章 二俣事件の記憶③】
https://www.at-s.com/sp/news/article/shizuoka/1175915.html

告発したのは、山崎兵八さん=2001年に87歳で死去=。
一家4人が殺害された現場に駆け付けた刑事の一人だった。
自治体警察と国家地方警察の2系統の警察が存在した時代。手記によると、捜査を仕切った国警県本部の強力犯係、紅林麻雄警部補は
「証拠は何もないが、(須藤少年は)正しく犯人。証拠集めをやってくれ」と指示を出した。
取り調べの激しさが増す一方、アリバイがあることや足跡と足の大きさが異なることなど
〈むしろ、反証の方ばかりが集まった〉

「自白調書」を得た検察官は死刑を求刑した。無罪は明らかだと思っていたのに、先行きが暗い。
山崎さんの心は告発するかどうかで揺れ動く。
「もしも(少年が)私たちの子どもだったらどう思う。黙って見過ごしができるだろうか」
と妻に決心を伝えると、最後は承諾してくれたという。

山崎さんは証人としても出廷。
しかし、須藤少年に死刑判決が言い渡された1950年12月27日、
山崎さんは偽証容疑で逮捕されてしまう。
精神鑑定で「妄想性痴ほう症」と無理やり診断されて不起訴となり、
警察を追われた上に車の運転免許も取り上げられた。

「おやじは(精神鑑定時に)医師から変な薬を注射されたと言っていた。
夢に出るのか、死ぬまでうなされていた」。
山崎さんの次男、正二さん(73)は振り返る。
故郷の春野町(現浜松市天竜区)で新聞を配達し、正二さんらきょうだいも幼いころから手伝った。
「事件に関しては、うちではタブーになっとって。
でも、おやじは告発したことを後悔していなかったと思う」