私は早稲田大に入学するまで湛山を知らなかった。雄弁会の門をたたき、先輩に「早稲田に来て政治家を
目指すのであれば、石橋湛山は知ってるな?」と言われ「知りません」と答えたら、烈火のごとく怒られた。
本屋に連れて行かれ、石橋湛山全集をまとめ買いした。湛山が言論活動をした戦前・戦中は、日本の大きな転換期だ。
あの時代にこんな率直な言論を展開した人がいたのかと衝撃を受けた。一生懸命読み、先輩が主導する
勉強会に参加した。読めば読むほど、湛山が持つ先見性に目が開かれる思いがした。1、2年前に湛山を
読み直していたとき、湛山に傾倒している古川禎久衆院議員(自民党)や篠原孝衆院議員(立憲民主党)から
声がかかり、超党派の勉強会を作ることになった。
日本は結局、戦争で植民地を全て失い、その後、科学技術立国や自由貿易に徹して経済成長を遂げることになるが、
湛山は当時の政府から相当なプレッシャーを受けたに違いない。それでも勇気と信念を持って植民地解放を
説き続けた。大日本主義に対し湛山の考えが「小日本主義」と言われるのはこのためだ。湛山は戦後、
政治家となり、首相にまで上り詰めたが、病気のために不幸にして短命政権に終わった。石橋内閣が
長く続いていれば、日本の姿はもっと変わっていたのではないか。

湛山はどの民族も尊重すべきだとの言論を一貫して続け、博愛主義的なところがあった。防衛の仕事では
「いざ戦わば」という話になりがちだが、大事なことはいかに戦わないようにするかだ。その思いで防衛交流を
やらなきゃいけない。昨年の防衛力強化の議論は危機感をあおって防衛費の増額につなげるという冷静さを
欠いたものだった。台湾海峡の安定は極めて重要だが、「台湾有事」などと軽々に言うべきではない。
ある意味で湛山が警告した戦前と近い空気があると感じている。空気ができていても、勇気を持って
ものを言う人がいないといけない。湛山は終戦後「日中米ソ平和同盟」を作ろうと言って笑われた。
すぐにできると思うのは幻想かもしれないが、そういう世界を希求して困難を乗り越えていく思いが必要だと思う。

https://mainichi.jp/articles/20230812/ddm/005/010/093000c