落合陽ー「10代の頃、ニーチェを読みすぎて頭おかしくなって心療内科に通った」👈ニーチェってそんなにヤバいの? [373226912]
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落合 僕の父(作家・落合信彦氏)は子供相手に「(ドイツの哲学者フリードリヒ・)ニーチェを読んでないヤツとは話ができねえな」とか言うような人で、その影響もあって本はよく読みました。
で、19歳のときにはニーチェと(イギリスの哲学者)バートランド・ラッセルが大好きで、読みすぎて、ちょっとおかしくなっちゃった。
「この世界にはホントに何も意味なんかないんだな。何をしても無駄じゃないか」と思いながら、心療内科に通ったりしていました。
https://wpb.shueisha.co.jp/news/technology/2017/02/06/79616/ 小学校の恩師(男)がソープ通いしてるのを知って、引きこもりになった大学生(男)は知ってる そういえば広末涼子もニーチェにハマってるって言ってたな
そんなもんよ >>577
ガキの頃に永井均のなぜ人を殺してはいけないか読んだけど
全く面白くなかったな
人殺しのほかになぜ売春婦はいなくならないのか
みたいなことも書いてあって
子供向けの本でいいつつ売春なんて概念を出してくるジジイの倫理観を疑った
今だと
合意のうえの売春であってもそこにある搾取や権力勾配を加味してないという批判もあって
こんな本を間に受ける馬鹿がいたんだなという驚きしかない 未だにニーチェだからな
いい加減総括されりゃいいのにな そりゃあ中学高校で数学が無かったらちょっと見てみようかなってなるじゃん? 『乞食…乞食は一掃すべきである。げだし何か恵むのもしゃくにさわるし、何もやらないのも、しゃくにさわるから。』
『乞食どもは残らず追い払うべきだろう!まことに彼らに与えるのも腹立たしく、また彼らに与えないのも腹立たしい。また、疚しい良心を持つ罪人たちも同様だ。』
どうだろうねえ
これだけ変わってくる
原文で読むべきだろうかね ニーチェって弱男の祖先だよな
自身弱者のくせして弱者への攻撃しかしなかった男
母と妹の世話になりながら超人だの永劫回帰だの息巻いていた弱男w >>595
これ面白いよな
深淵もまた俺らを見てるということは
言い換えるなら神はいつも我々を見てるとも言えるんだよな 40代で嫌儲を見すぎて頭おかしくなったチョンモメンよりはヤバくないよ ニーチェ読んでるって言うのは周りから頭良さそう扱いされる系の代表格だろ
実際名前だけ有名で中身は知らない末人だらけだし つまりニーチェは直観的な人だったんだろうな
だから神は死んだという言葉と矛盾するやんけとか言ってはいけないw
上でニーチェは詩人とか言ってる人がいるがまさにそうだわ
詩は直観するもので論理的整合性を云々するものじゃねーんだよな 神は死んだとか言いながら
深淵を覗く時深淵もまたお前を覗いている
などと言って絶対的他者の存在を示唆したりもする
こういうところからもニーチェの人物像が浮かび上がってくる >>631
自分の中のことを言っているんだわ
比喩の表現が多いのでそのままの意味で解してはいけない
『善悪の彼岸』
Jenseits von Gut und Böse
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 --146節
"Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein." 多分ニーチェが詩人だったらもっと評価されていたと思われる
直観的なワードセンスが天才的だからよな
ニーチェの不幸は彼が哲学者だったということ
哲学者としてみれば彼の思想には全体的な整合性が欠けていた 若くして破天荒装ってテレビでコメンテーターやってるヤツ、調べると親が偉いとか上級とかばっか
この国やばい 心療内科や精神化って
こういうやつの箔付けに利用されてるよな 上でも書いたが
キリストを誹謗する者は許されるが聖霊に逆らう者は決して許されない
という聖書の言葉を地でいったのがニーチェなんだよな
ニーチェ的に言うなら
彼は深淵に呑み込まれてしまったんよな >>632
「お前が長く女湯を覗く時、女もまた等しく男湯を覗いているのだ」は成立しなさそうな気がするけど
「お前が長く女湯を覗く時、女湯を覗いているのだ」は成立する気がする
・・・ニーチェって難しいわ >>639
お前が女湯を覗く時
お前の中の他者もまたお前の覗きとかいう行為を見ているが故に
お前のチンポをエレクトさせるのだ 哲学書読んでなんか意味あんのかな
なんとなく偉くなった気がするようになるだけだろ? >>641
哲学書読んだだけでは意味がないただの暇つぶしにしかならん
古典的哲学倫理学が法学や社会学に発展した歴史と系譜も一緒に学んだ時はじめて生きた学問になる >>642
そんなん余程の物好きじゃ無いと無理やろげ・・・ 後世の20世紀に影響を与えたニーチェとマルクスは二大巨頭 >>9
小保方とか佐村河内みたいなもんだな
ない中身を作り話で補う 父親に対する反抗期が無かったと思うなあ
プロテスタント教会の牧師の息子として生まれたのだから、それは大きく関係している要素だわね
牧師の息子が宗教批判するのはよくある例だが、ここまで歴史文献学者として活躍した人物はいないので後世に多大な影響をもたらした
統一教会で安倍晋三に殺意を持った山上さんも少しは心理的状態にアナロジーが利くと言える ウーンデッドヒーラーという概念があるけど
変な話ニーチェの良いところは
彼が傷ついた弱者だったとこよな
だからこそ俺らはニーチェの弱者である部分に共感し
彼の何が間違っていたんだろうと考えることが
まんま自分を癒やす力になるんよな
まあカウンセリングでも双方向性が基本らしいし
ニーチェに限らず哲学者や宗教家を完全無欠みたいに神格化して崇め奉るのは
ぶっちゃけあんまよくないっていう >>651
この人の多感な時期って親父の全盛期が終ってなかった? 漱石は彼の思想に共感はしなかったわね
超人という言葉は、スーパーマンと当時は訳されていた
あの思想は草臥れる、というのが彼のありのままの本音だったわ >>658
思想ではなく彼の弱者としての苦しみ悲しみに共感していれば
また違ったかもな
有難い教えを賜るのではなく
弱者を癒やそうとあれこれ考えることが
まんま自分を癒やす何かを生み出す創造性になるんよね 人に共感出来る奴はつおいお
だから俺は全ての人の苦しみ悲しみに共感出来るようになりたひ まあこんな感じが俺が考える哲学書に限らず人文系の書物の正しい読み方だわ
理系に必要なのが無邪気な好奇心だとすれば
文系に必要なのは先人が抱えていたであろう苦しみ悲しみに対する共感力であって
自分自身が苦しみ悲しみを抱えそれと真剣に向き合った経験があるからこそ共感し得るのよな
>>10に尽きるってのはそういう意味 >>622
こういうの見ると
どんなカスでも発言権が持てる末人の時代だなって思うわ
今から千年後に俺も含めてお前ら全員の存在は無だが
ニーチェの著作は読み継がれてるかもしれない
それだけの覚悟で歴史を相手に仕事して
とりあえず100年以上社会的影響を残してる哲学者に弱男だのなんだ言ってる浅ましさだな >>665
実際弱男だからなw
ただ弱男に共感できるなら自分の中に何かが生まれ得るという
ただそれだけの話 >>666
そこに言ってるわけではなく
なんでも等身大にしてわかったようなつもりになるのが現代人だなということね
ヒトラーを美大落ちとか
徳川家康を糞漏らしとか聞きかじりで言ってるようなもので
それは全部ではなく一面を切り取っただけだからな >>667
まあぶっちゃけその通りかもな
ぶっちゃけ現代的風潮が
昔よか必ずしも全て正しいわけではないのだから
上手い具合にバランスをとって良い方向に行って欲しいね ニーチェを読むとヤバいんじゃなくて、もともとヤバいやつしかニーチェを読まない
あと、ヤバいやつに見せたくてそんなこと言う商売 俺も厨二病だった中学生の頃は
ニーチェ読んでる俺かっけーと思って
善悪の彼岸の文庫本とか持ち歩いてたな… ニーチェを四柱推命で分析したことがあるんだわ。この四柱推命によると人は五つの性質の混ざり具合によって成り立っているとある。まあインドか中国の占いなんだけど、構成要素は木火土金水で五行っつー良く聞くやつよ。そうするとね、ニーチェは木と土と水が突出して高いのね。突出して高い項目がある人は変な特徴が現れるのよ。普通は一つくらいなのね。ニーチェは三つある。しかも飛び飛びになってるのね。火がなくて金がない。
そんでね、同じような五行を持つ女性と結婚したことがあるのよ。キチガイだった。現実と妄想の区別が付かない人だった。一見まともそうに見えるので結婚まではいったけど。
ニーチェは最後性病で狂ったかもしれないけど、そもそも普通にはあり得ないような変な(というしかない)性質を持ってたんだよ。
という結果。つまり業績を残した人の中にも変すぎて成り立たない人が混じってるってことなんだ。 >>667
「彼は大工の息子ではないか」マタイ13:55
( ̄∀ ̄) キリスト教倫理にどっぷり浸かってないとニーチェのラディカルさ加減は伝わらないと思う
中学くらいに読んだときとキリスト教の考え方学んだあとで読んだのとで全く違った >>641
「実はその居心地の悪さこそが本源的な現象なのだ」ハイデガー
この居心地の悪さの受け皿になる学問が哲学や宗教になるんだよ
まあカッコ付けで哲学当たる人もいるんだろうけど思春期にヤラレる人が多いのもそういった理由だろ
個人的にはケンモもその受け皿になってるけどね
( ̄∀ ̄) ニーチェは自我が肥大してたんだと思う
キリスト教スレでよく
宗教的真実は主観的真実に過ぎないとか
信仰において救いを得た(つまり神に出会った)けど
最終的には真実なんて結局わからず
イエスの人柄が大好きという一番最初に戻った
とか書いてるのは
この自我の肥大を意識してるからよな
告白するがぶっちゃけ俺って中々スゲー奴だわという気分があるから
意図的に理性で
冷静に客観的に考えろや
お前なんて大したことない
って言い聞かせてバランスとってるのよな
だから信仰もまた最後は理性がものを言う
って書いとるのよな
じゃないと自我肥大するからな ニヒリズムの転換は内的にかなり衝撃的な出来事で
これが起こると文字通り
世界が違って見えるようになるのよな
確かにこれは素晴らしい事だが
ここから更に先に進まないと自分に対して
何か素晴らしいことを内的に成し遂げたスゲー奴
みたいに勘違いした認識を持っちゃうのよな
まあ自我肥大だよね だからニーチェは外道って書いとるのよな
ニーチェが後年俺は仏陀だキリストだとか言ったのは
梅毒のせいなんかぢゃなく
まさに自我が肥大してたからだと思うね ニーチェのニヒリズムは俺にぴったりだった
読んでてほんとこれって思うことばっか 素晴らしいことを内的に成し遂げたスゲー奴ってのが何故勘違いかと言うと
本当は自分がそれを成し遂げたわけじゃなくてただの自然なプロセスの一環だからよな
つまりキリスト教的に言えばそれは神の導きであって自分の力でなしたことではないし
仏教的に言えばただ縁起の結果であって
すなわち何かを為す我なんて存在しない(つまり無我)からよな
ぶっちゃけニーチェはここまで行ってないわけで
だから不完全な仏教って感じなんだよね 沖縄の農業おぢだから雨の季節で畑がドロドロで出られんのだ
多レスしてしまってすまんこ
つかやろうと思えば仕事なんて幾らでもあるから
ぶっちゃけサボりだなw
面白いスレだからだけどいかんよな すでにその芸当にとりかかっていた綱渡り師は、
小さな戸口から歩み出て、
二つの塔のあいだに張られた綱、
すなわち広場と民衆の頭上にかかった
綱の上を渡っていったのだ。
そしてかれがちょうどその途中の
まんなかごろまできたとき、
もう一度例の小さな戸口がおいて、
道化師ともおぼしき五色の衣裳をつけた
一人の男がとびだし、早い足どりで、
前の綱渡り師をおいかけてきたのである。
「進め、足萎えめ」と、
この男は恐ろしい声をあげて叫んだ、
「とっとと行け、なまけ者、もぐりめ、
青びょうたんめ! おれの足にくすぐられるな!
この塔のあいだで何をするというのだ?
塔のなかが身分相応だ。閉じこめられていろ。
でしゃばって、じぶんより上手なものの
邪魔をするのか!」
──一言ごとに、かれは近づいてきた。
そして前を行く男にもうあと一歩というところで、
すべての口を唖にし、すべての目を見はらせるような、
恐るべきことが起こったのである。
──悪魔のような叫び声をあげると、
かれは行く手をさまたげていた者を飛びこした。
飛びこされた者は、じぶんの競争者に
打ち負かされたと悟ったとたん、
狼狽して足を踏みはずした。
かれは手にした長い桿を抛りだし、
その桿よりもはやく、手足をくるくるとまわして、
真一文字に落ちてきた。
広場と民衆は、突風が吹きこんだ海のようであった。
みんなわれさきにと、ひとを踏みこえて逃げだし、
ことに綱渡り師の身体が落ちてくるあたりはひどかった。 この綱は人間と超人を渡す心元ない
チャレンジである
ニーチェをとてつもない自信家のように
思う人が多いがそうではない
彼は綱を震える脚でにじり進んだに過ぎない
破滅を予感し人々の嘲笑を予期しながら
それでも進んだにすぎない
「私は真理を知っている!」
無責任な大衆が叫ぶ
嫌悪しか感じない 何に関しても自分を飾らないと気が済まない人っているよな
テフくん全盛期を思い出す ニーチェに限らず、哲学者が示したある優れた世界の認識の仕方、病巣の捕まえ方に対して、その治療まで鵜呑みにしてしまってはいけないというのが経験的に感じること
カントやマルクスについてもそうじゃない 10代の頃、ニーチェを読みすぎて頭おかしくなって心療内科に通った俺凄い 仏教との類似で言うなら
この感覚である
「覚者は仏陀一人のみ」
菩薩もまた真理に至る綱渡をしているに過ぎない
大衆は綱渡師を指差し笑う
「私は真理を知っている!
真理などないのだ!」 >>687
ビートたけしのソナチネみたいなもんよ
人が転落にある種の美を感じるのは
そこに本人も自覚しないアプリオリな知
即ち再生とか復活をみるからじゃないかな
ニーチェはそれを否定したところに無理があったんだと思うね
復活とか言っても生き返るとかそーいう意味ぢゃなくて
精神的な変容の例えね >>691
結局は病巣を治癒するのは自分(それも自我ではなく自己)だしね
ウーンデッドヒーラーのとこでも書いたが
知識との関係において
自らの内なる治癒の力が惹起されるのが大事なんよな 個人的に北野武のソナチネが大好きなんだが
なんでこんなにこの映画に感動するのか自分でも長らく不明だった
でもある時自分なりに納得する考えが閃いたんよな
即ち俺はソナチネの救いのない死の裏に
無自覚的に死からの再生という救いを見ていたんだなと
だからあれほどまでに感動したんだなと で、実際人間の心ってそーいうもんなんよな
つまり象徴的な意味において
人間の心が変容するときって
死と再生のプロセスをたどるのよな
この意味においてニーチェが周囲の理解を得られなかった苦しみ悲しみもまた
肯定されうるのよな
何故なら復活再生のための苦しみ悲しみだからよね だから聖霊に逆らうものは許されない
なんよな
ニーチェは苦しみ悲しみを受け入れずに抵抗した
つまり神による自然のプロセスに無理に逆らった、死ななかったから狂ったんよな >>692
一方コイツの親父の本を読んでおかしくなったと思われた俺 内的な死と復活の知識はアプリオリな知識と書いたが
なんだかとゆーと
アプリオリじゃなかったらたけしはソナチネみたいな映画とれなかっただろうし
後はそうだな
例えばNHKの驚異の小宇宙人体脳と心の久石譲の作ったテーマとかね
3曲あるんだがそれぞれ
神に出会った時のヌミノース的感情をよく表現してて
多分久石譲さんは神体験なんかしてないだろうし
こういう感覚がアプリオリでないとこんな曲作れないだろうからな それか
サメに食われて死んだりするよな
ちなみに
かと絶対的にもきつい 自分の部屋物置きになってくれた人のクルマにドラレコ無いのにね
こんだけ屁が
多分剥けない気がしたのに握ってるの カプレーゼは簡単でいいよな!気持ち悪い!」とつづった。
ばぶすら含み益1000万ってマジで意味わからんわここまで耐えたんだから何もしてないわけではないんだろ つまりは狂ったことから逆説的に言えば
ニーチェはやっぱりとてつもない自信家で
最後まで自分の正しさを捨てられなかったんよな
何が言いたいかといえば
自分は真理を知っている!
とかいう大衆とこの点で何が違うの?って話なんだよな >>662
吾輩は猫であるでニーチェの事を「気の毒になる」って書いてただろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています