>>952
天武天皇の年齢については作家がいろんな説を唱えたそうであるねw

>1974年に作家の佐々克明がこの違いを捉え、天武天皇は天智天皇より年上であり『日本書紀』が兄弟としたのは事実を隠したものであろうとする説を唱えた。ここから主に在野の歴史研究家の間で様々な異説が生まれ、活発な議論が交わされた。佐々は天武天皇の正体を新羅の皇族金多遂としたが、小林惠子は漢皇子とする説を提起し、年齢逆転を唱える作家の間ではこれが有力なものとなっている[9]。漢皇子は皇極天皇が舒明天皇と再婚する前に高向王(用明天皇の孫)との間に設けた子で、天智天皇の異父兄である。

>しかし『一代要記』などは天智天皇の年齢も記しており、そこでは天智天皇は天武天皇より年上である。中世史料内部で比較すれば天智・天武の兄弟関係は揺らがないのであって、年齢逆転は、『日本書紀』の天智生年と、中世史料から天武生年だけを取り出して比較したときに起きる。このような操作を通じて得た矛盾によって、父母を同じくする弟と明記する『日本書紀』を覆すことに、坂本太郎ら歴史学者は総じて否定的である[10]。しかし論争の中では数字をひっくり返してつじつまを合わせる史料操作も批判され、56歳没説も支持されなくなった[11]。結局、天武天皇の生年は不明ということになる。

作家はいろんな異説を唱えるが、学会は作家の異説には批判的であるといういつもの風景であるねw