■実際は「引っ込みがつかなくなった」

 こうした経緯にもかかわらず、実は、松岡は国際連盟脱退など夢にも考えていなかったといわれる。例をあげるなら、ジュネーヴに赴くにあたり、元老西園寺公望のもとに挨拶に行った際、松岡は、「脱退などは絶対に致しません」と断言していた。

 それが、かくも豹変した背景には、日本国内の世論の硬化を受け、かつ諸国の代表を説得するためのはったりとして強硬な主張をなしているうちに(ちなみにアメリカ留学時代の松岡は、ポーカーの名手として知られていた)、俗にいう「引っ込みがつかなくなった」ものと思われる。事実、これからみていく外務大臣時代の行動からも判断できる通り、松岡には、大向こうを唸らせたがる癖があるのだ。

 とはいえ、意に反して、日本の国際連盟脱退という事態を招いてしまった松岡は意気消沈していた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b16927ba34eccbc13ca903e67919fe0167c5fcb?page=2