授業を工夫したら「隣のクラスと差がつく」 熱血教員は学校を去った

 関西地方の小学校に6年間勤めた男性(32)は今春、教員を辞めた。

 いつもやる気にあふれ、何よりも授業に力を入れてきた。
 それが暗転したのは、その「授業」を巡る、ある出来事がきっかけだった。

 26歳で採用され、6年間、毎年学級担任を務めた。
 子どもたちと向き合うことに、喜びを感じていた。
 勉強が分かった時のうれしそうな表情を見たとき、担当した子が卒業後に顔を出してくれたとき。

 やりがいを感じる瞬間は何度もあった。
 子どもの学力を高めたい一心で、授業準備や教材研究を仕事だと思ったことは一度もなかった。土日も自宅でパソコンに向かった。
 特に力を入れていたのが、英語教育だ。

 大学を卒業後、海外で働きながら英語力を養った。その経験から、「読む」「書く」「聞く」「話す」の4技能をバランス良く養成するために、どうしたらいいかを考えた。

 朝の時間に、さいころを振って出たテーマについて英語で話す活動も採り入れた。
 子どもたちは物おじせずに取り組み、力がどんどん上がった。

 一方、仕事には疑問もあった。授業に関係のない業務が多すぎることだ。
 放課後にはまず、校内の会議や研修、打ち合わせがある。
 それが終わると、事務仕事が待っている。
 代表的なのが、学校の庶務を教員が分担する「校務分掌」だ。

 3年間担った「会計」では、遠足などにかかった費用を計算して精算書をつくり、全ての領収書を貼り、事務職員に提出するといった作業がある。
 提出後に「3円違っている」と指摘され、数日間かけて全ての数字をつきあわせ直したこともある。

 疑問が募った。

 「これって教員の仕事なのか」

苦労が評価された矢先に
 本来、放課後は翌日の授業準備…

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