2000年、『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)の企画「電波少年的東大一直線」で一躍大ブレイクしたタレント・坂本ちゃん(55歳・@sakamotochan)。

――今年55歳。30歳を過ぎた遅咲きのブレイクでしたが、そもそもなぜ芸能界に入ろうと思ったのでしょうか。

坂本ちゃん:小学校3年生、9歳の時にタレントになろうと思ったんです。私は本当に地味で、学校に友達はいないし、家でも男ばかり三人兄弟の真ん中の目立たない存在。いつもうつむいて下を向いているタイプだったんですね。

そんな生活のなかで、当時のテレビが、すごくキラキラして見えて。その時、自分もその世界に入りたい、テレビに出たら、皆私にちょっと注目してくれるんじゃないかな? という思いがありました。多分現実から逃避したいっていう気持ちもあって……。

でも、どうしたらなれるかわからない。そこで毎日毎日、神様にお祈りしていました。他には何も望みませんので、タレントにしてくださいって。そうしましたら、20数年かかったんですけれど、なれまして。私、時間はかかるんですけど、思ったとおりになってるんですよ、人生が。

――『電波少年』出演の経緯を教えてください。
坂本ちゃん:ある日、「日本テレビの新番組のオーディションがあるから、お前ら行って来い」って言われて。詳しいことは何も知らされずに行ったら、大きな会議室にものすごい人数の方がいて。最初知能テストを受けさせられたんですよ。

――その時はまだ、「東大一直線」のオーディションだとはわかっていない。
坂本ちゃん:わかってないんです!『電波少年』って、ほんとガチで(笑)。
 
何のオーディションかわからないまま何回か呼ばれて、最後の面接の時に土屋さん(『電波少年』を手がけた土屋敏男プロデューサー)たちがいらして。その後、『電波少年』の前説を3回させていただきました。当時はそこでお客さんの反応をみるっていうのがあって。
それでまたしばらく経った頃、マネージャーさんに、日光江戸村で幽霊の格好をしてチラシを配る仕事があるから行って来いって言われて。行って仕事をして夜宿泊先で寝て、翌日トイレに入りましたら、トイレごとクレーンで持って行かれまして、気がついたら四谷のマンションでした。部屋には家庭教師として東大出身のケイコ先生(唐木恵子。現・春野恵子)がいらっしゃって、それからがスタートでしたね。

――最初企画内容を聞いたとき、どう思いましたか?

坂本ちゃん:土屋さんが「東大目指してください」っておっしゃられた時、運命がガラッと音をたてて変わるのを肌で感じました。「小学校3年生の時にタレントになりたいって思ったものが、いよいよ始まるんだ」って。

――そして「東大一直線」に挑戦しましたが、もともとは大学受験に失敗して、高校卒業後プラプラしていたとか。

坂本ちゃん:日本大学の附属高校に通っていたんですが、大学進学のための試験に落ちて、一般入試でも落ちまして……。あの時大学生になっていましたら、電波少年のオーディションというチャンスもなかった。オーディションは、「高卒」が条件だったんです。ですから、それまでマイナスだったようなことも、時が経てばプラスに変わるタイミングがくる。人生はおもしろいですね。

――大学受験をもう一度するということに対して、何か思いはありましたか。

坂本ちゃん:正直、「東大」はさすがに無理だなとは思いました。一方で、電波少年っていう番組は、当時若手にとってものすごいチャンスがある番組だったんですね。ですから、やっとまわって来たチャンスを、なんとかものにしようというギラギラ感が大きかったです。
「よく耐えられましたね」って言われるんですけど、その部屋が快適だったんですよ! 上京して貧乏生活で、当時住んでいたのは6畳一間でお風呂もエアコンもないような部屋だったので。企画の間はお風呂に入れるし、エアコンは快適だし。テストをクリアしないとご飯を食べられないという制約はあったんですけれど。だからね、幸せでしかなかったんです。

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