Twitterを見ていると、毎日のように40代男性による結婚観のツイートが流れてくる。

婚活中の男性が「結婚したい」と熱く語るその理由が「掃除しなくていい、洗濯もしてくれる、帰ったらごはんがある、そんな生活を早く送りたい」だったり、
「産後、育児に一切協力してくれなくてそれが未だに許せない」と妻から言われた男性が「家事育児に専念させてくれる夫、外で稼いでくる夫に対する敬意はないのか」と逆に嘆いていたり。
それらのツイートにはたいてい、「まだこんなことを言うやつがいるなんて」「時代錯誤にもほどがある」といった批判のコメントがつく。

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令和のいま、「帰ったらご飯を作って待っててほしいから結婚したい」なんてことを言う男性はSNS内では笑い者にされても、リアルでは結構まだまだたくさんいるんだと思う。
そういう男性は、パートナーにぶつかり合いを求められても「外で稼いでくる夫に対する敬意はないのか」と本気で思ってしまうのかもしれない。

彼らは、祖母や母に世話されるのが当たり前のおじいちゃん、お父さんを見て育ち、自分もこうなるんだと疑わずいるだけなのだろう。
社会が発する「嫁さんをもらって一人前だ、料理のうまい女をもらえよ」というメッセージに素直に従い、その通りに生きているだけ。
なのにいつの間にか、ドリフの背景セットが回転するみたいに世の中ごと変わってしまって、40代男性なのに昭和のおじいちゃんみたいな感覚だけが残っていて、まるで浦島太郎だ。
自分で薄々気づいていても、「結婚したら家事も育児も妻にまかせて、結婚前と同じように仕事だけしていればいい」という特権を、そうそう手放せないんじゃないだろうか。

結婚から十数年後に、妻に全力で存在を否定されても、それでも問題化することもできない状態になってしまっている男性は、本来はその男性一人のせいではないかもしれないけど、
時間が経てば経つほど、周りからはそんなお情けはもらえなくなる。自分と同じように昭和な結婚観を持っている女性はいるだろうから、自分はいまのままで構わないと考える男性もいるだろう。
ただ言えるのは、昭和のおじいちゃん、お父さんと違って、私たちは「令和の40代」だってこと。私たちの20年後の価値観は明らかに、今とは違っている。
熟年離婚されたくないなら、自分の子どもを浦島太郎にしたくないなら、いまのうちに自分にとっての幸せとは何かを考え、添い遂げたい相手とぶつかり合っておくことをおすすめする。大きなお世話かもしれないが。

ロスジェネ世代の浦島太郎たちよ、社会の中心ど真ん中のあなたたちが幸せを追い求めるのは、社会全体の幸せにつながるという覚悟を持ってくれ!
妻を鬼みたいにしてまでご飯を作ってもらうことが、本当の幸せなのかい? 自分自身の幸せをしっかりつかみ取ろうぜ! SNSで間接的に浦島太郎に出会うたび、そんなことを頭で叫んでしまうのです。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89879?imp=0