私が18歳だったころの話です。ある日、北名古屋市〜名古屋市西区の辺りを原動機付き自転車で走っていたら霧雨のような小雨が降ってきました。

私は原付の前輪を滑らせ転倒。倒れた私のすぐ横を、後続の路線バスがけたたましいクラクションを鳴らしながら走り去って行きました。

ヘルメットは被っていましたが、バスのタイヤが通り過ぎたのは、倒れた私の頭のすぐ近くでした。

その後も何台かの車が、倒れた私をよけながら、すぐ近くを通り過ぎました。

身体の痛みとショックでしばらく起き上がれないでいると、信号待ちになった一台の自動車から若い男性が降りてきて、転がっている原付を道端によけてくれました。

私もなんとか立ち上がり、「ありがとうございます」と言いましたが、その男性は私を見ることもなく、無視して車に乗って行ってしまいました。助けてくれたと思ったけど、単に私の原付が邪魔だったようです。

私は顔や腕から血を流しながら、道路端の原付の近くに座り込みました。

「この怪我では運転して帰れないし、頼れる人もいないし、どうしよう......」

途方に暮れながら、目の前を走り去って行く車を何台もボーっと見ていることしかできませんでした。

しばらく膝を抱えて座り込んでいると、やがて作業着を着て自転車に乗った20〜30代くらいの東南アジア系の男性が通りがかりました。

「あなたどうしたの! ケガ!? 転んだ? 車ぶつかった? 痛い? だいじょうぶ!?」「あなたケガ!だいじょうぶ?」

彼はそう言って、私の顔、私の目をしっかりと見てとても心配してくれました。

私は彼に「原付で転んでしまいました」と事情を話すなり、涙があふれて止まらなくなりました。

「だいじょうぶ! ここに座ってるの危ない、少し待っててください」

彼は私にそう告げると、道路沿いにあった洋服店に助けを求めてくれ、そのお店の方が救急車を呼んでくれました。

救急車が到着した時も彼は、車に乗り込んだ私に、

「救急車のお金ありますか? 病院のお金ありますか? 私あなたにお金あげます」

と声をかけ、財布から千円札を数枚出してお金を渡そうとしてくれたのです。

私は「だいじょうぶです。ありがとうございます。お金はあります」と答えて、病院に向かいました。

病院に運ばれ、無事に治療を終えた後に、ようやく彼の名前も連絡先も聞いていない事に気付きました。

後日、救急車を呼んでくれて、私の原付も保管してくれていた洋服店にお礼に伺ったのですが、あの外国人男性の事は全くわからないという事でした。

18歳の私は、事故でケガをしても他人は見て見ぬふりをするんだな、と社会の現実を知りました。

あの時唯一、声をかけて助けてくれた彼に、きちんとお礼を言えていない事がずっと心残りです。

先日、子供と一緒にいた時に、自転車で転倒した高齢の方を見かけ、起き上がるのを他の方とお手伝いしました。

相変わらず見て見ぬふりの人も多い世の中ですが、この地球のどこかにいる誰かが何か困った時、どうかたくさんの手が差しのべられるようにと心から祈っています。

https://article.yahoo.co.jp/detail/d66c42c698848823ea7a15489cef43bdd202672e