『ブリス 〜たどり着く世界〜』は、矛盾しつつ共存するふたつの世界を描こうとしている:映画レヴュー

『マトリックス』を思わせる展開

『アイ・オリジンズ』でさえ、(その「文字通り」の視覚性と、太陽光が思わせぶりにスローモーションでバーストする結末にもかかわらず)「百聞は一見にしかず」という
昔ながらの決まり文句の意味を深め、複雑かつ豊かにしている。だが、今回の『ブリス 〜たどり着く世界〜』は、「どれだけ見ても信じることはできない」ことを描く作品だ。

ウィルソンが演じるグレッグは、とるに足らないオフィスワークをこなしながら、ほかの世界、ほかの人生を夢見ることに日々を費やす無名の男である。そこに謎めいた
女性イザベル(サルマ・ハエック)が現れ、自分は現実を超越する力をもっていると主張する。

イザベルはグレッグに対して、この世界は実は現実ではなくコンピューターシミュレーションなのだと言う。このキラキラ光る透明な薬を飲めば、グレッグにもそれが見えるというのだ。


グレッグとしてこの作品を体験する観客は、この仕掛けの記憶がある。そう、映画『マトリックス』で見たはずなのだ。

もちろん、マトリックスを監督したウォシャウスキー姉妹がシミュレーション仮説の独占権をもっているわけではない。1999年制作のSF映画『13F』や、
同じく99年制作のSF/ホラー映画『イグジステンズ』、新しいドキュメンタリー映画『A Glitch in the Matrix』など、「ヴァーチャルな遊び場」には十分な余裕がある。だが、
『マトリックス』が描く「赤い薬と青い薬」の世界と比べると、ケイヒルの「薬を介した現実」は「本物の世界」から生まれた“二流のシミュレーション”に見える。

https://wired.jp/2021/03/03/bliss-is-worst-kind-open-ended-sci-fi-film/