【ジャガーさん】東京大空襲で火だるまに 木更津高時代、1人で自動車を自作 ”千葉の英雄”自伝出版へ 驚きの秘話続々

 空襲被害に遭い千葉に疎開、高校時代にはたった1人で自動車を自作ー。「故郷のジャガー星に帰還した」と
10月に突如発表し、世間を驚かせた千葉のご当地ミュージシャン、JAGUAR(ジャガー)さんが「帰還」前に
執筆した自伝が17日、出版される。自ら制作した音楽番組を千葉テレビで毎週放映するという「伝説」を残した
ジャガーさんだが、衣装から建物まであらゆるものを自分で作ってしまう「DIYの天才」ぶりを開陳。
東京大空襲の被害者であることや、疎開で千葉にやって来たこと、木更津第一高校(現・木更津高校)で
東大進学を勧められるほどの秀才だったことなど、これまで明かされなかった秘話の数々を打ち明けている。

「世」に出る前のジャガーさんの足跡はこれまで謎に包まれていたが、自伝では、1944年生まれで戦争体験者である、
という驚きの事実が明かされる。

 自伝によると、45年3月、「地球での仮の姿」の1歳の頃、当時家族と住んでいた東京・北千住で東京大空襲に遭遇。
焼夷(しょうい)弾の炎に巻き込まれて火だるまになったが、両親が必死に消し止め命拾いをした。
その後、千葉の長浦(袖ケ浦市)に疎開・転居したのが、千葉との縁の始まりだったという。

 長浦小学校に通い、米軍ラジオ放送の洋楽に熱中する一方、工作にも没頭。中学時代には蒸気の力で走る
リアルな機関車模型や望遠鏡を制作し、木更津第一高時代には、エンジンを積んだ三輪自動車を鈑金も含めて全て1人で作り上げた。

 洋画家だった父の影響で絵画もたしなみ、高校では美術部に所属。洋裁にも夢中になり、妹にスタジャン、
姉にスーツを作って贈るなど、若い頃から創造力を”爆発”させていた。

 一方で学業でも秀才ぶりを発揮。高校時代は学年400人中1位をたびたび取った。

教師から東大進学を勧められたが、芸術に関心があったため写真の専門学校に進んだという。
中略
「ハロー・ジャガー」が始まった経緯や、ジャガーさんの店で働いていたX JAPANのhideさんの真面目な仕事ぶり、
ジャガーさんに憧れて面接に訪れた中学時代の氣志團・綾小路翔さんの様子なども、本人の口から詳しく語られている。

 「星への帰還」前にはビルのエレベーターを自作する計画も立て、実現していたというジャガーさん。担当編集者は
「現代の平賀源内か、エジソンか、というぐらいジャガーさんは”モノづくりの天才”だった」と話す。千葉の戦後史も
交えて描かれており、千葉と歩みをともにしたジャガーさんが、なぜ千葉を愛し、愛されたのかがよく分かる一冊となっている。
あとはソースで
https://nordot.app/840479301949505536?c=62479058578587648
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