https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/842507/

寛大、背中押せ―「飲酒運転ゼロ」背負い走った車いすマラソン引退

 3大会連続でパラリンピック出場を果たすなど、第一線で活躍してきた車いすマラソン選手の山本浩之さん(55)=福岡市東区=が、現役を引退した。競技歴は20年超、50歳を過ぎて国際大会で上位に入るなど「中年の星」として輝いた。体力の限界を迎えても選手生活を支えたのは、10年前に飲酒運転事故で失った長男寛大(かんた)さん=当時(16)=への思いだった。

元気に出掛けた姿が最後になった
 11月21日、「大分国際車いすマラソン」。ゴール地点の大分市営陸上競技場に、浩之さんがいた。すがすがしい顔で出場選手に拍手を送る。「若い選手に負けないよう、経験と技術力で競い合うのが楽しかった」

 20歳のとき、バイク事故で車いす生活に。バスケットボールのトレーニングとしてマラソンを始めた。2000年ごろから本格的に取り組み、08年の北京パラで1位と5秒差の6位に入ると、12年ロンドン、16年リオデジャネイロと連続出場した。

 レースを会場で応援してくれた寛大さん。宿舎では他の選手も介助するなど、誰からもかわいがられた。

 11年2月9日、そんな日常が一変する。福岡県粕屋町で同級生と歩いていた寛大さんが飲酒運転の車にはねられ、亡くなった。妻美也子さん(53)と駆け付けた病院に寛大さんが横たわっていた。自転車で元気に出掛けた姿が最後になった。

よみがえった約束。走りださないと
 練習もままならない中、約半月後に迫った東京マラソン。出場を迷った浩之さんの胸に寛大さんとの約束がよみがえった。(翌年の)ロンドンパラリンピックに連れて行く―。走りださないと。「STOP! 飲酒運転」のステッカーを車いすとヘルメットに貼り、駆け抜けた。「寛大、背中押せ」―。後続を振り切り3位入賞を果たす。
寛大さんの死を乗り越えるのではなく「無駄にしない」。飲酒運転撲滅を訴えることが、現役を続ける原動力の一つに。国際大会にもステッカーを貼った車いすで出場した。講演で思いを言葉で届ける美也子さんに対し、視覚的に伝える。「飲酒運転への怒りや憎しみではなく、『危ないよ』と伝え続けるのが役目」


 多い時で月に千キロを走り、東京マラソンを51歳で制した鉄人も、少しずつ体力は衰えた。本気で勝負するのは11月の大分が最後と決めて調整。練習中、心臓に痛みが走ったのは10月のことだ。「心臓の力が2割ほど落ちている」と医師に告げられた。「アスリートとして走るのはもう無理」。同月下旬、大会事務局に辞退を申し出て、現役を退いた。

 今後も寛大さんのことを講演で伝えていく。命を大事にする人が増えれば、飲酒運転はなくなるはずだから。「寛大にはもう会いたくても会えない。自分の命も、人の命も大切にしてください」