この頃、今の「パールハーバー」の地域をハワイの人びとは「プウロア」と呼んでいた。それはハワイ語で「長い丘」を意味し、湾の周囲を取り囲む地形から来ていた。

プウロアの水にはハワイの人びとが信じる神々である、サメの神のカアフパハウとカヒウカが棲み、湾を外敵から守ってくれるとされていた。
そこは豊かな漁場でもあり、人びとはカアフパハウとカヒウカのおかげで穏やかな生活を営むことができたという。

また、この近辺は真珠が取れることからワイモミ(真珠の水)とも呼ばれ、これが「パールハーバー」(「真珠」「湾」)という名称の由来であるとされている。
19世紀にハワイを訪れたアメリカ人らは当初、このあたりをパール「リバー」(川)と呼ぶこともあった。

湾の入り口が狭く、そこから「ロック」と呼ばれるいくつかの入り江が奥の岸辺に向かって複雑に何キロにも続く地形は、「湾」というより「川」に思えたのだろう。

ハワイを訪れたアメリカ人が早い時期から「パールハーバー」に関心を持ったのは、そこが有力な港になり得ると考えたからだった。
19世紀に入ると、ヨーロッパ諸国同様、中国との貿易に強い関心を持つようになったアメリカにとって、太平洋の中央に位置するハワイはとても便利なアジアへの中継地点だった。

パールハーバーは入口がひとつだけで、そこを過ぎると中に向かって湾が扇のように広がっている。
まだ航空機がない時代、湾の入口を防御しさえすれば、その内側にある船舶を容易に守れるこの形状は軍事的に非常に魅力的だった。

したがって軍港を設けるのであればこの「パールリバー」が望ましく、湾の中央にある「小島とその北方と西方にある岸辺に海軍が必要とする物資と資材を確保する保管庫を設けるべき」とふたりは陸軍長官に進言した。

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