東アジアから連れてこられたヨーロッパのタヌキの受難は終わらない

もともと極東に生息していたタヌキを西方に連れてきたのは旧ソビエト連邦だ。1929年から1955年にかけて9000頭近くを、毛皮採取を目的にロシア西郡とウクライナの飼育場へと運んだのだ。

やがてタヌキの毛皮が下火となった時代、不要になった飼育場から逃れたり放たれたりしたタヌキは、徐々に西方へと移動した(RTL 5 minutes)。その結果、この50年でタヌキはヨーロッパ広域に広がり、その生息域は2倍の広さになった。

スイスのべルン大学のナントウィッグ教授は、「(タヌキが)広がる場所では鳥の個体数が大幅に減少し(中略)生態系の重大な不均衡を生み出している」(スイス・アンフォ, 2004/9/28)と憂慮する。

また、ベルギーのアン動物園コーラー副園長は「(タヌキの存在は)ベルギーの生態系を危険にさらす。なぜなら、キツネなど他の動物の食糧を摂取するからだ」(RTBF, 2016/7/15)と発言している。また、タヌキが狂犬病の媒介動物になる危険性も指摘されている。

そのため、EU加盟国は、国土内でのタヌキの繁殖拡大をできるだけ防ぐように求められ、それぞれ策を講じている。
ドイツは個体数調整のために(タヌキを)毎年3万頭屠殺しているし、ルクセンブルグでは、タヌキの狩猟が、3月1日から4月15日の休猟期間を除いて一年中可能である。

フランスでもタヌキは、害獣リストに名を連ねる。つまり、2004年3月24日法令によって、「一年中、国内どこででも、罠にかけて捕獲してよく、狩猟期間は、知事の許可を得て撃ち殺してかまわない」動物とみなさることになった。
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