>>9
不安定な仕事ではありますが、パワーストーンの販売やインターネットのライブ配信で収入を
得ていた時期もあったのですが……。

 改めて定職を見つけようと思い、この秋口には工場のライン作業や介護士、
車の内装クリーニングとか、全部で20社ほど受けましたが、ぼくの“悪評”をメディアで
知っていたのか、全部面接でダメ。

 生活のために軽自動車を手放し、母や父にお金の無心をし、友達に借金もしました。
ぼくなりにもがき続けた一方で、そこまでしないと生きていけない自分に、「死んでしまえ」と
思ったことも。妻と娘と幸せになりたかったけど、実際は貧困でつらい生活から抜け出せ
なかったんです」(壱成。以下同)

 壱成の収入だけでは生活がままならず、飯村は育児の傍ら飲食店やスーパーなどで
アルバイトをして家計を助けた。食費を切り詰め、爪に火をともすような暮らしを続けてきたが、
明るい未来は見えなかった。

 離婚の際の取り決めは、慰謝料はなし、月4万円の養育費、娘との面会は月2回。
現在は同居中だが、クリスマス頃には家を引き払う。再び人生の岐路に立たされた壱成は、
父・石田純一(67才)に連絡を入れた。

「純一さんには、離婚届を書いた日に電話で伝えました。『あぁ……』っていう、反応はため息のような、
声にならない声のような。まあ、いまは本人も大変そうだから(苦笑)。

また別の電話で(東尾)理子ちゃんにも伝えました。『はいはい、わかりました、OK〜』みたいな感じで。