ポルノがもたらす弊害

ラン・ガブリエリ氏:私がポルノを見るのを止めた理由は基本的に2つあります。
1つは、ポルノがたくさんの怒りと暴力を私のファンタジーの世界に持ち込んだためです。これらの怒りや暴力はもともとは私の中にはなかったものです。
私はそれを避けるため、それを終わらせることにしたのです。言うことは実行するよりも簡単ですが……。

2つ目は、ポルノを見ることで撮影された売春への需要を作っているのだと気付いたからです。
ポルノグラフィは本当は撮影された売春だからです。ポルノは売春を意味しますし、グラフィは映像を意味します。

売春が子供の頃からの夢だった、という人はいませんよね。それはいつも困難と貧困の結果です。私はボランティアをするにつれて徐々にそれを理解しました。
売春宿や路上で、人身売買の犠牲者などを含む男性、女性のためのボランティアでした。

(略)

セックス産業が生み出す「社会的な死」

週に1、2回、20分間、ポルノを見ることによる影響を想像してみましょう。それは想像よりも大きいです。望んでいてもいなくても、ポルノは身近にあるものです。
それは私たちの幸福に一致するものではありません。どこに行ってもインターネットがあるせいで、携帯を使って90%の12歳児が定期的にポルノを見ているのです。

ポルノは中毒性と麻痺させる力を持っています。どういうわけか私たちはポルノに依存してしまい、中毒性があるのです。
麻痺というのは、多くの男の子や若い男性に対して、ポルノは「大きなペニスを持つことと、永久の持続性を持つときだけ、
男としてセックスの中で価値があるのだ」ということを教えているからです。

ポルノによると、価値のあるセックスの相手になるためには、「官能的、情熱的、思いやり、優しさ、上手く調整された人」というようなことはまったく関係ないのです。
すべての価値は、私たちが持っていない大きなペニスと、永久的な持続性から生まれるというのです。だから男の子たちの感覚は麻痺してしまうのです。

もしポルノを見ても麻痺することがなければ、大抵の場合、彼らは見たものの真似をし始めます。それは攻撃する人になるということです。
たとえそこに感情があるとしても、私たちが美しい少年少女の恋愛、健康的な大人の恋愛関係とみなすものの中にでさえ、性的暴力があるのです。

なぜなら私たちがセックスについて話し合うことはあまりないからです。いろいろな場所で目にしますが、それについて話すことはしません。まったくおかしなことです。

https://logmi.jp/business/articles/18704