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3人の子も親も発達障害。親も生きづらかったからこそ分かる「何ができるか」より大切なことーー発達障害を描いた
CMプロデューサーが聞く【♯見えない障害と生きる】

●小学2年生だった次男がいじめにあう
発達障害の中でもADHDとASDのほか、躁鬱病(双極性障害)がある猫ママ(仮名)さん。学生時代はまだ発達障害や躁鬱病が
今ほど世の中に知られておらず、周囲の理解が乏しい中、「突然落ち込んで動けなくなる」ことが多かった。「あの子は怠け者」。
夏休みの宿題もやり切れたことがなく、いつも「頑張らなきゃ」と無理をしていた。
高校卒業後、1年余り会社勤めを経てすぐに結婚。3人の子宝にも恵まれた。ただ、当時小学2年の次男が日に日に元気がなくなって
いくのを見て、違和感を覚えていた。すると授業参観の日、担任教師から「お子さんが友達に対して注意をすることが多く、反感を買っている。
その話を本人にしたら、最近元気がなくなってしまった」と言われたという。
しかし、詳しく状況を確認をしたところ、担任教師の対応がクラスのいじめを助長していたことが発覚。学校に事実を伝え、事態は収拾したものの
猫ママさんの心に引っかかったことがあった。「友達に注意をすることが多い」とは――。周囲に自閉スペクトラム症のある子どもがいたことから
発達障害の勉強をしていたという猫ママさんにとって、次男の特性があてはまることに気付いた瞬間だった。

「勉強もできて友達だってたくさんいる、こんなにいい子なのに、発達障害だなんて有り得ないって最初は思いました。
でもある日、夕飯を作っていたときに肉じゃがを見て次男が『これ、何ていう食べ物だっけ?』って言ったんですよね。
何度も食卓に出している献立の名前も知らなかったのか、今まで意識したこともなかったのかと――それで次男にはなにかあるという
確信に変わったというか。でも、どこか気持ちが軽くなったんですよね」(猫ママさん)

その後、学校でのルールに耐えられなくなり、眠れない日々を過ごしたという次男。診断の結果、ADHDとASDがあることがわかった。
「しんどいからできない」のか「甘えている」のかが分かりづらく、叱るのを躊躇した時期もあったが、特性を深く理解することで線引きが
わかるようになったという。

次男のあと、長男や三男の障害も明らかになった。そして猫ママさん本人も35歳のころ、診断を受けた。夫は診断こそ受けていないが
息子の担当医によれば「間違いない」という。
こうして“発達障害一家”として歩んでいく決意を固めた猫ママさんは、子どものサポートに徹しようと仕事をせず、書類や水筒を
忘れたらいつも学校まで届けた。
「家族のサポートをする上で、私自身の苦手分野と彼らの苦手分野が被りすぎていることは、ハッキリ言ってかなりの負担です。
誰か1人でもいいから、片づけができるといいんですが…。彼らの負担を軽くするために、彼らがどうしてもできないことはやって
あげたいと思っています。ですが、私も同じようにどうしてもできません。私だってできることなら誰かに頼りたい」(猫ママさん)

社会には、どうしても守らないといけないルールや、やらないといけないことがある。しかし、発達障害のある人にとって、
「できないこと」や「わからないこと」があるのも事実。猫ママさんは、自分なりのペースで「誠意を持って生きる」ことが大切だと話す。

「そもそも、自分が何をわかっているのか、わかっていないのか、わかっていないことがわかっていないというか。それダメだよって
言ってくれれば、ダメなんだってわかるんだけど、言われなかったり酷い目に遭わなかったらわからないんです。そういう人多いん
じゃないかな、ラインがわからない人。感覚としてわかんない。備わっていないんです」(猫ママ)