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1971年にカジンスキーはモンタナ州リンカーン郡近郊の人里離れた小屋に移り住んだ。電気水道とは無縁の隠遁生活を始める一方で、サバイバル技術を磨き、自給自足を実現しようとした。
しかし小屋の周囲にあった原野が破壊されるのを目の当たりにしたカジンスキーは、自然の中で暮らすだけではだめだという考えにいたり、1978年に爆弾事件を起こし始める。

1995年にはニューヨーク・タイムズに手紙を送り、もし同紙かワシントン・ポストが自分の論文『産業社会とその未来』を掲載するのであれば「テロ活動をやめる」ことを約束した。
この論文のなかで、爆弾事件が極端な行動であることは認めつつ、大規模な集団化を前提とする現代科学技術に人間の自由と尊厳が蝕まれていることを知らしめるためには必要だったという主張を行った。