>>40
当時の一期校二期校は、今の国立大前期後期入試と違って、一期校に合格した受験者が
一期校に入学する権利を保有したうえで二期校に受験できた制度だったわけだよ。
それでしかも医学部の場合、目ぼしい二期校が挙げた3大学の他あとは岐阜大とか
鹿児島大とかぐらいしかなかったうえ、一期校で東大理一や理二や京大工学部や理学部など
他学部を受験した受験者まで受験してくるから、まさに物凄いハイレベルの戦いだったわけ。
医科歯科大とか信州大医あたりになると当時の受験生だって難易度はじゅうぶん知ってるから
箸にも棒にも掛からぬ学力のやつは記念受験すらしないわけ。
それと何より一次の足切りってそれは共通一次導入後の話だよ。

ちなみに東大に理三ができたのは実はそんなに古くなくて一期校二期校の半ば頃で、
それ以前は医学部進学は理二で優秀な成績を挙げた学生だけが医学部に進学できた。
だからそれが高校生から敬遠されて、確実に医者になりたいという超優秀な高校生は
まずは一期で京大医、二期で東京医科歯科(または信州医)というのが超王道併願パターン。

そんなこんなで超ハイレベルな戦いでしかもこの高倍率、とにかく二期校時代の東京医科歯科は凄かった。