性行為できない障がい者の私…手放した「普通」の暮らしへの渇望 車いす生活の先で志した自由な生き方(withnews)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f23a35166f3ee6a278fb337405bb4d06276c850b

(前略

もし私に身体障がいがなかったら、この望みは叶い、この苦しみはなかっただろうと思うことは少なからずあるのは確かだ。

ひとつ例を上げれば、性行為ができなかったことだろう。もしセックスができていたら、私とパートナーの関係はいろんな意味でもっと深く、わかり合えるものになっていたのだろうか、と想像することがある。そう単純なものではないと頭ではわかっている。だが「した」ことがないから、本質的な意味でわからないのだ。

セックスができていたら当然、特にパートナーが望んでいた子どもも授かっていただろう。ふたりしかいない居間を私たちの子どもが走りまわっていたら。私のからだが普通だったら、当たり前に見ていたかもしれない光景だ。

(後略