>>44
君、道真に関して詳しいんだ
ならちょっと教えて欲しいことがあるんだが
古より道真は崇徳らと並んで「三大怨霊」とされるけど、道真の絶筆と言われる
「謫居春雪」
盈城溢郭幾梅花
猶是風光早歳華
雁足黏将疑繋帛
烏頭點著思帰家
とか、『菅家後集』の有名な
「九月十日」
去年今夜待清涼
秋思詩篇獨斷腸
恩賜御衣今在此
捧持毎日拜餘香
とかからは諦念を感じこそすれ怨念は感じないのだが、何故後世「大怨霊」として扱われたと思う?

それらを踏まえて太宰府行き我決まったときに詠んだとされる歌
 東風こち吹かばにほひおこせよ梅の花
 主あるじなしとて春を忘るな
をどう解釈する?
あ、君は前レスで「死後の道真天神落雷伝説は藤原氏にとって都合がよかったから流れた」と言っているが、清涼殿に落雷したのは道真の死後27年だからね
理由としては非常に弱いと思うよ