【日米交渉】アメリカって、何で日本の南進政策に干渉してきたの? [475332278]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(前編)」
太平洋戦争から80年。歴史の大きなうねりを「個の視点」から「複眼的」に捉え直すシリーズ「新・ドキュメント太平洋戦争」。エゴ・ドキュメントと呼ばれる当時の日記や手記から、戦争の新たな断面に迫る。第1回は「1941・開戦」。前編では、アメリカ文化に親しみをもっていた市民や、戦力差も踏まえ日米開戦を避けようとしていた国のリーダーたちが、なぜ戦争へと向かっていったのか、その心の変化を見つめていく。
https://www.nhk.or.jp/info/pr/toptalk/assets/pdf/soukyoku/2021/11/002.pdf
12月4日(土)午後9:00
南部仏印
アメリカ インドネシアの資源を本土に輸送するにあたってフィリピンを攻撃すると読んでいたから アメリカのフィリピンに対しての振る舞いはどうだったんだよ >>8
無関税でフィリピンの農産物が入ってきて国内の農業者の反発がやばいな
→そや!独立させたらええねん
ってなったのが1935年 ( ゚Д゚)「戦争狂でもある共産党支持者のおいらさんが詳しいだろう」
(´・ω・)「ごむ、てっこーせき、せきたん」
( ゚Д゚)「白人国家のおーすとらりあに対する白人国家の亜米利加の共感」 ( ゚Д゚)「戦争狂でもあり、自称政治史研究家のおいら氏」
(´・ω・)「アメリカは戦争不介入を貫いていたが、じゃっぷ国の行いを危険視しいた」
亜米利加「じゃっぷ国の奴らと来たら、白人の友人である欧米諸国の権益を奪おうとしてるぞ。放置できん。制裁だ」
じゃっぷこく「おこったぞー。奇襲だー」 ミクロネシアの委任統治までは認めよう。だがそれ以上はダメだ!
ってとこだろ?勝手に島を占領し出して庭あらしもいいとこ。あとフィリピンの利権を失いたくは無い罠。 南進論(なんしんろん)とは、戦前の日本で、「日本は南方地域へ進出すべきである」と唱えられていた対外論である。
幕末に佐久間象山などが唱えた開国論(外国の力を取り入れ、日本が植民地になることを防ぐという概念)に起源を持つ。
1880年代には既に提唱されており、日清戦争による台湾領有、第一次世界大戦後の南洋諸島の委任統治の際にも論じられ、特に支那事変の頃に主唱された。
初期の南進論は必ずしも日本による領土拡張や軍事的進出と結びついたものではなかったが、1930年代以降、日本における「自存自衛」理念と結びつき、「武力による南進」が志向されるようになった。 南進論は横尾東作・田口卯吉・志賀重昂・菅沼貞風・竹越与三郎・福本日南などの民間の論客が提唱したもので、自由貿易主義の流れを汲むものとアジア主義の流れを汲むものに大別され、彼らはオセアニアや東南アジア島嶼部への貿易・移民事業を試みた。
日清戦争中の南進論は台湾領有の具体的主張であった。
日清・日露戦争以降、日本の国策の基本は朝鮮・満州・中国大陸など東北アジアへの進出を図る北進論となったため南進論は民間・非主流派の対外政策論、および、台湾総督府による南洋航路開拓等にとどまった(日清戦後のフィリピン独立革命(1898年)の際、日本軍が独立派を支援することでこの地に勢力を扶植することが模索されたが、結局は断念された)。 日本と南洋との関わりは、1868年(明治元年)のハワイ移民開始、1875年(明治8年)の小笠原諸島の領有に始まる。
その後、1885年(明治18年)の巨文島事件や、1887年(明治20年)の海防整備の勅令などを受け、日本人の外洋への関心が一気に高まった。
また、第一次世界大戦での戦勝側の国となった日本は、国際連盟からの委任を受けて、西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々のうち、現在の北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦を統治するようになり、「南の島」は手の届くところへやってきた。 そんな中、1900年(明治33年)、後に南の島ブームの原点とも評される押川春浪が、『海島冒険記譚 海底軍艦』を発表する。
この作品は当時の少年を熱狂させ、フロンティア精神、冒険心を大いにかきたてた。
また、昭和初期太平洋戦争前に少年向け雑誌『少年倶楽部』に連載された島田啓三作の漫画作品『冒険ダン吉』もこれに類し幼少年の心を刺激した。
また、1930年代にヒットした歌曲「酋長の娘」(石田一松作詞・作曲)も、聞く人に「裸で、無知で、官能的で、黒い肌の」人々の住む南海の楽園を想像させた。 真相は
アメリカ「有色人種うぜぇ」
だろ、きっと。 >>22
中国を軍事支援してましたが
まさかの中国人白人説? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています