旧満州国出身やぞ🥲




宴会部長的存在で、つねに明るいイメージのある富井副部長だが、実はかなりの苦労人である。生まれは旧満州で、太平洋戦争の混乱の中、日本に引き上げてきた経歴を持つ。

 また、幼少期には父親の事業の失敗で極貧となり、本人が「お菓子も買えなかった」と振り返るほど、厳しい生活を強いられていたことを明かしている。家が貧しく、自分1人が大学に行ったことを弟の修が恨み、長らく不仲だったこともあった。

 富井副部長はことあるごとに「食料難世代」を口にし、山岡が酷評した食べ物でも、「美味しい」と言って食べている。そのような行動を見ても、苦労人であることわかるだろう。