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絞れぬ犯人像 遺族「解決見て死にたい」 世田谷一家殺害から21年

仙川沿いに広がる緑豊かな都立祖師谷公園(東京都世田谷区)。その憩いの空間で、不自然にたたずむ一軒家がある。住人の宮沢みきおさん=当時(44)ら一家4人が殺害された事件の現場だ。30日で発生から21年を迎えた。主を失った家は、今も一家の無念の思いとともに保存され続けている。

【写真】一家4人が殺害された宮沢みきおさん宅

「MIYAZAWA」の表札が掲げられた2階建て住宅。外壁の至る所に大きな亀裂が入り、つる草が屋根まで伸びている。運営していた学習塾の看板は色あせ、流れた歳月の長さを物語る。事件当時は周囲に別の住宅もあったが、今は現場周辺を残すのみだ。

老朽化が進み、安全管理のため四方にフェンスが設置されている。散歩で毎日現場の脇を歩くという男性(69)は「家の外観を見るたびに、事件のことを思い出す」と語る。

一方で、特に若者には風化の影が忍び寄る。昨年11月には、現場を囲むフェンスなどに落書きが見つかった。「殺人事件そのものを知らず、大ごとになるとは思わなかった」。警視庁成城署に器物損壊容疑で書類送検された男子高校生は、こう供述したという。

■絞れない犯人像

現場解体の「危機」もあった。平成から令和へと時代が移った年、必要な証拠収集を終えたとして当時の捜査幹部が老朽化が進む現場建物を取り壊す方針を決定。だが風化を懸念する遺族が保存を求め、当面延期となった。

元捜査幹部は「現場で血のりのあった場所に犯人の顔面を押さえつけて、心からの思いを語らせる。事件の風化だけでなく、真相を得る上で現場の保存は欠かせない」と強調する。

事件解決の糸口はつかめていない。

ヒップバッグ、トレーナー、帽子、マフラー、A型血液、韓国製テニスシューズ「スラセンジャー」の足跡…。100個以上の指紋・掌紋など、現場には多数の犯人の遺留品が残されていたが、捜査は難航した。

成城署捜査本部は当初、周辺住民や宮沢さんらの関係者を徹底的に洗い出し指紋を集めた。だが、一致には至らなかった。初動捜査で決定的証拠の指紋にこだわるあまり、被害者の顔見知りを調べる「鑑取り」など基礎的な捜査がおろそかになった可能性がある。

そして外国人にスケボー愛好者など、さまざまな犯人像が浮かんでは消えた。「動機も分からず捜査するほど謎が深まる」。捜査関係者は首をかしげる。

■願いは届くか

平成17年から10年以上にわたり捜査1課で事件を担当するなどした東大和署の野間俊一郎署長は犯人が使っていたフランス製の香水「ドラッカーノワール」を捜査員たちにかがせて意識付けさせていたという。「事件のことだけを考えていれば道は開ける。毎日が勝負。一枚岩になれば、いい結果をもたらす」と後輩たちに思いを託す。

遺族の思いは21年たっても変わらない。「こんなに長く生きたので、やはり事件が解決するのを見て死にたい。何でこんな事件を起こしたのか」。宮沢さんの母、節子さん(90)は小さい体からか細い声を絞り出した。

未解決事件の遺族の思いはただ一つ。犯人の逮捕だ。遺族の思いに応えることができるか。刑事警察の真価が問われる。(松崎翼、王美慧)

世田谷一家殺害事件 平成12年12月31日午前10時55分ごろ、東京都世田谷区上祖師谷の会社員、宮沢みきおさん=当時(44)=宅で、宮沢さんと妻、泰子さん=同(41)、長女、にいなちゃん=同(8)=が刺殺され、長男、礼君=同(6)=が窒息死させられているのが見つかった。犯行は30日夜とみられる。警視庁成城署捜査本部は、のべ28万6400人以上の捜査員を投入。指紋の照合数は、約6千万件に及ぶ。