【謎】リベラルってやたらと「神社」を敵視してる人が多いけどなんでなの? 国家神道と神道は別物だよ?⛩ [701470346]
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>>99
海外に数千あった神社は戦後すぐに撤去された
国家神道は侵略戦争植民地支配の道具でしかない
土人のアニミズムである古事記 日本書紀 ぐらいしか経典も教義も無い似非宗教
日本の天皇を神として崇めろ
完全にあたまおかしい
〔連載〕君は日本を知っているか E
海外に神社が少ないわけ――その2
神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠
かつて海外には無数の神社があった
忘れられた海外神社のその後
海外神社の遺構は何を語っているか
忘れたままでよいのか
http://gendainoriron.jp/vol.08/feature/f09.php
海外神社の遺構は何を語っているか
ここでは、なぜ無数にあった海外神社が、戦後機能を停止し、放置され、忘却されてきたかという問題に絞って、検討してみよう。
ところで、神社は、言うまでもなく宗教施設である。一般に宗教施設は、その宗教の信仰を確認する場として設置され、信仰を広める場としての機能を果たすことが期待される施設である。適切な比較かどうか分からないが、キリスト教の場合、宗教施設としての教会は、キリスト教進出の背後にいた国家が、軍事的に敗退しても機能を停止することはなかった。教会の興廃は、宗教としてのキリスト教の消長にだけ左右されてきたと言ってよいであろう。
それに対して、神社は、国家の敗退と同時に宗教施設としての機能を停止した。ここには、宗教と国家の関係についての重要な相違がある。
一方は、宗教と国家が一体化しており、もう一方は、宗教と国家が一応分離・独立の関係にあったということである。
いうまでもなく、戦前、神社を宗教施設とする神道は、国家神道として日本という国家と密接不可分の関係にあった。
そのことからすれば、国家が敗退し、軍隊が撤退・解体してしまえば、神社も放置されることになるのは当然ということになる。
「御神体」は、それなりの儀式を挙行して「帰還」したとしても、神社の施設は現地に残さざるをえなかった、あるいは「御神体」の無い神社はもはや抜け殻同然なので放置してもかまわないと考えられたのかもしれない。
海外神社には、国家や軍が政策的に設置した神社が少なくないが、その場合には、そういう処置がとられ、放置されることになったのであろう。
しかし、その場合には、そもそも何のために神社を設置したかが問題になる。
日本が、植民地支配を行った台湾や朝鮮では、神社が「皇民化政策」のための施設として設置されたと言われている。
それは、単に天皇に忠誠を誓う日本帝国臣民を作ることだけが目的で、宗教としての神道の信者を獲得することは目的ではなかったということにすぎなかった。
信者を獲得することが目的であって、それに少しでも成功して現地信者がいたならば、「御神体」を抜き、施設を放置するという行為は、それらの信者に対して極めて無責任な行為と言わざるをえない。
逆に、信者をまったく獲得することができず、放置してもかまわなかったというならば、そもそも神社を設置するという政策自体が無意味であり、政策としては完全に失敗であったということになる。 >>102
その点では、国家の政策に協力した宗教者として神職にあった者の責任も小さくない。
実際には、信者を獲得することはできなかったから、政策の失敗が問題にされるべきであるが、神道関係者の間で戦後そのような総括が行われたことは聞いたことが無い。
さらに、国家や軍ではなく、日本人移民や進出企業が自主的に――といっても神社庁の承認の上で――設置した神社の場合も現地人の信者を獲得することを目的としていなかったという点では同じであった。
神社は移民社会や企業の統合のシンボルであったと考えられたようで、移民や企業が引き揚げてしまえば、無意味と化す施設ということになる。
ハワイやブラジルに、少数とはいえ神社が現存しているのは、戦争中の苦難を乗り越えて移民社会が継続していたからであろうと推測される。
また、サイパン島やペリリュー島のように、戦後再建された例もあるが、これは、戦没者遺族の要望があり、現地の許可を得て、戦没者の慰霊のための施設として建設されたという性格が強い。
いずれにしても、海外神社の多くは、日本軍と移民が引き揚げてしまった後は、それを信仰し、それを守るべき信者がいなくなったわけである。
したがって、神社は、破壊され、放置され、他に転用されることになったわけである。
破壊され跡形もなくなったものの中には、もともと現地の人々の立入さえ許されなかったものもあるという。
中国の徐州には、記録によればかなり大きな神社があったという。徐州は、中国史の中でも度々大会戦が行われた要衝の地であるが、日中戦争の際にも激戦地となった。
徐州会戦に勝利し、そこを占領した日本軍は、そこに神社を建てた。しかし、当時を知る現地の老人に聞いた限りでは、子供といえども中国人は、境内に入ることすら許されなかったという。
一体何のために神社がたてられたのか。
少なくとも、立入も許さないというのだから、教化のためではないことは明らかである。
現地の人々からみれば、それは勝利の記念碑、支配の象徴以外の意味を持つものではなかったであろう。
その跡地には、たばこ工場が建ち、周辺を探してもそれらしき痕跡は一つも見つからなかった。そこでは、神社の跡地は、ただ虚しさだけを語っているとしかいいようがない。 >>104
忘れたままでよいのか
最近、テレビなどで海外神社跡地についての報道を見たことがある。台湾の事例だったが、観光客誘致のために神社跡地が利用されているというような報道であったと記憶している。だから、海外神社は完全に忘れ去られているわけではない、といえるかもしれない。
しかし、その報道では、神社設立の経緯やその後の経過などについてはまったくと言ってよいほど触れられていなかった。
それでは、単なる観光案内に終わっていると言わざるを得ない。海外神社に触れるのであれば、その歴史的経緯に触れなければ、思い出したと言ってもまったく意味はない。
すでに述べてきたように、海外神社は、植民地支配や戦争という国策にしたがって建設された。
移民や企業が自主的に建てたといっても、それは、しょせん自分たちだけのための施設であった。そこには、自己中心的な、あるいは内向きの論理しかなかった。
現地の人々にとって、それがどういう意味を持つかなどということは考えていなかったに違いない。
もともと、日本の神々と神社は海外に出て行かれるようなものであったかが問われなければならなかったにもかかわらず、それも本格的には議論されなかった。
神道という宗教は普遍性を持っているのかといえば、答えは否であろう。
特に、明治以来の国家神道化した神道は、日本という個別国家の論理に分かちがたく結びつけられたため、普遍化の契機を持ち得なかった、あるいは自ら放棄してしまったのである。
普遍性を持たない宗教は特定の国家の実力に頼らざるを得ないし、国家が衰退すれば、それにしたがって衰退するしかない。
少し比喩的な言い方をすれば、自己中心の内向きの論理(「内」だけに通用する価値観)にとらわれた国家が、その論理を侵略の論理に転用し、「八紘一宇」のような際限のない拡大に乗り出し、それが挫折するやこれまた際限なく収縮し内に籠る、戦時期の海外神社の急速な増大と戦後の無残な海外神社跡地の状況とは、その拡大と収縮の象徴に見えてくる。
そこまで思考をめぐらした時、初めて海外神社は忘却の中から這い出てくることになるのである。さらに言えば、排外主義的ヘイトスピーチが横行し、安倍政権下でナショナリズムが頭をもたげ始めた現在、それがいかに自己中心的内向きの論理によるものかを反省させるきっかけを海外神社跡地は与えてくれているのではなかろうか。
それにしても、海外にまで持ち出された日本の神々は、この現状をどう思っているのだろうか。敗戦の混乱の中で、海外の地に放置された「御神体」も少なくなかったに違いない。日本が「神国」であると主張する者こそ、海外神社のその後について重大な関心を払うべきであるが、そういう問題に取り組んだという話は聞いたことが無い。「英霊」などと持ち上げても、依然として戦地に眠ったままの遺骨を探そうとしないのと同じことであろう。彼等には、海外の地に放置された神々の嘆きの声は聞こえないのであろうか。
きつかわ・としただ
1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任、昨年4月より名誉教授。前現代の理論編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、近刊に、丸山真男『日本政治思想史研究を読む』(日本評論社、6月刊)など。 >>94
スサノオが日本に鉄器を始めとする文明を伝えたってのが
この宗教としての芯の部分。
要は日本はワシが作ったっていう宗教。 >>90
そんな朝鮮とズブズブの安倍界隈(笑)
統一教会まで合体してマジキモいんだよ、
マジで消えろ 逆なんだよね
日本人の土着信仰を利用して近代国家建設や戦争遂行に駆り立てた「装置」が神道
戦後も戦犯のような罰を受けずのほほんと非課税の資金を集めている
そういう神社本庁系神社と同一視されるのをずっと80年放置してんだから実態は同じでしょ >>109
そんなこと言っても今この瞬間には3000万人が
賽銭箱めがけて狂喜しながら金を投げつけてるわけで。
三が日が終わる頃には延べ1億人が金を投げ捨てる。 江戸時代はほぼ神道は仏教に吸収されてたから神道の教義なんてものはない
天皇ももちろん仏教徒
明治になってカトリックの制度だけ取り入れたのが神道
法皇=天皇とすると都合が良かった 冷静に考えてみろ
ただ金を捨てに行く場所だぞ
異常だろ >>115
坊主もピンキリやけどこれはええ坊主やな お前ら真剣に500年も継続する意思がこの世にあると思ってんの?
全部今の神社は明治後の再編された神社だよ
よくて江戸 れいわの支持者って反神道、反神社の人多いよね
なんで? 日本の神道は国家プロジェクトとして国家神道にすべてこじつけられて
本来の土着浸透も変質したからそのご指摘は当たらない
というか神仏習合をぶっこわした時点で伝統もくそも 神主がほとんど世襲だもん
集金システム引き継ぎとか既得権益そのものじゃん >>25
浅川金刀比羅神社は氏子もいなくて
神職もボランティアで
地元住民の協力で成り立ってると多摩のタウン誌に書かれてたな
http://asacoco.jp/topnews/konpira/
神社本庁からまったく独立してる感じ 日本昔ばなしのアニメとかでも
坊さんはいっぱい出てくるけど神主とか出てこないもんな 天皇も人生に息詰まると神道の神様じゃなくで
出家して仏教に帰依していたし 所詮統一協会も創価学会も生長の家も
神社本庁という資金と政治の枠組みのの中では単なるつゆ払いに過ぎないんだよねえ >>125
後醍醐天皇の息子、護良親王も天台座主だったもんなあ。
神道なんて微塵も関係性なかった。
明治からのたかが150年の歴史しかない。 >>127
明治天皇も皇室の伝統通り仏式の葬儀を願ったが政府が許さなかったんだよな 神仏習合でお寺の中に神社があるケースが多いのに無理矢理分けたり管理の為かたくさんあった神社を近くの物をまとめたりして江戸時代と全く違う状況を作ったからな 神聖な場所とかいってイキる神社の
「ちかんに注意」の看板掲示率は異常
https://i.imgur.com/S5A7E1G.jpg 神社行ったら「美しい国日本」とか「日本語は美しい」みたいなカルトポスターが貼ってあったぞ
朱に交われば赤くなるだわ
どこも同じ 日本をボロボロにした軍人軍属 犯罪者である戦犯の縁者
遺族会や自衛隊OBや世襲制の全国八万の神社
アメリカに命乞いし公職復帰
アメリカに日本を売り飛ばした売国奴
上級国民の集まり
ソ連との冷戦があったから
反共のためにアメリカに処刑されなかっただけの犯罪者の集まり
戦犯岸が釈放されて総理大臣
孫の安倍も総理大臣
神道政治連盟日本会議 清和会のプリンスが安倍 徴兵された民間人に補償は無いのに…
日本をボロボロにした軍人軍属戦犯
犯罪者の圧力団体
上級国民
一般財団法人 日本遺族会
終戦後の戦没者遺族
昭和20年8月15日、4年におよんだ大東亜戦争は終わりました。
敗戦国となったわが国は、連合国の管理下で占領軍による新生日本の歩みが始まりました。
矢継ぎ早に出される指令の中で、戦没者遺族にとって大きな打撃となったのは「神道指令」でした。
靖国神社が、国との関係を絶たれたのです。
また、自治体の慰霊祭、追悼式も禁止され、恩給も停止され、社会的冷遇をうけました。きのうまで「誉の家」として尊敬された戦没者遺族は肩身の狭い思いをしました。とくに、一家の大黒柱を失い、年老いた父母を抱え、遺児を育てる戦争未亡人の方々の物心両面にわたる苦しみは、ひとしおでした。
立ち上がった遺族が団結
戦没者遺族は各地で連絡を取り合い、立ち上がります。
組織化へ向けての、動きです。戦没者遺族にたいする冷遇を是正したい。
それは、ひたむきな動きでした。悲痛な叫びです。会合が各地でもたれ、代表が東京に集まり、全国組織としての「日本遺族厚生連盟」を結成します。終戦から2年、昭和22年の11月でした。
そして、国会では「遺族援護に関する決議」、「未亡人並びに戦没者遺族の福祉に関する決議」があり、政府にも遺族援護の機運が高まります。
国が戦没者遺族の処遇再開
講和条約が発効し独立を回復した昭和27年、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が制定されます。戦後6年にして、遺族援護の途が開けました。国家処遇の再開です。政府主催の「全国戦没者追悼式」が行なわれるのも、この年からです。
その後、遺族会の事業を円滑にすすめるために法人格を取得。「財団法人 日本遺族会」(昭和28年3月)として出発します。
戦没者遺族の処遇改善だけでなく、英霊顕彰事業として首相・閣僚の靖国神社参拝の推進、遺骨収集への会員派遣、戦跡巡拝の実施のほか、国内および海外戦域での社会奉仕活動にも積極的に取り組んでいます。 >>138
軍属の婦人四名のうち三名が砲弾にたおれ、はるさんだけ全身数箇所に破片傷をうけながら奇跡的に助かった。勇敢だった女子挺身隊員も、約半数が次々に倒れ、指揮者だった町田先生(北谷小学校)も、終末近くになって壮烈な戦死をとげた。(町田が、待田か松田姓だったかは不明である。)
現在戦死者の恩給は、将官、兵、軍属では格段の差がある。敗戦国が人間一人の生命にこんなに大差をつける必要があるだろうか。この町田先生などを厚遇しなければ、鉄の暴風の傷跡は解消しないと強調したい。
−阪神タイガース 松木一等兵の沖縄捕虜記− (1974年)
> (軍人恩給の)受給資格は原則として12年以上兵役についたこと(戦地勤務は3倍に換算)ですから、いわゆる職業軍人が中心で、敗戦間際に動員された学徒兵や応召兵は含まれません。
> それでも有資格者は約100万人と言われます。恩給年額は、大将833万円、中佐517万円、少尉239万円、軍曹165万円、兵80〜145万円など、軍隊そのままの階級社会です。
> 沖縄の鉄血勤皇隊の戦没学徒などの戦闘協力者である「無給軍属」の場合は,その遺族には弔慰金 3万円が与えられるに止まり遺族年金が支給されていない 戦前回帰国家神道カルト反日 日本会議
憲法改正を訴える日本会議の「危ない」正体
「宗教右派の統一戦線」が目指すもの
2016年07月12日
https://toyokeizai.net/articles/-/126794
政権と密接な関係を持ちつつ、憲法改正を訴える任意団体「日本会議」。取材を続けるジャーナリストが、近著でその危険性を明らかにした。
安倍政権のコアな応援団となっている日本最大の右派組織、日本会議を端的にどう評すべきか。先ごろ上梓した『日本会議の正体』(平凡社新書)を取材・執筆しつつ考えたのだが、ある雑誌で対談した先輩記者・魚住昭さんの言葉に膝を打った。「宗教右派の統一戦線」。魚住さんはそう評した。そのとおりだと私も思う。
1997年5月、当時の2大右派組織──日本を守る会と日本を守る国民会議が合併する形で日本会議は発足した。現会員は約3万8千人、日本会議に呼応する日本会議国会議員懇談会に名を連ねる衆参両院議員も約280人を数えるに至り、組織の役職などには右派系の著名文化人、学者、財界人らが就いてきた。初代会長はワコール会長だった塚本幸一氏。2代目会長は石川島播磨重工業会長だった稲葉興作氏。3代目会長は元最高裁長官の三好達氏。現会長は杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏。
しかし、組織運営の中枢を担うのは新興宗教団体・生長の家に出自を持つ元活動家の面々である。
地道で執拗な右派運動
強調しておかねばならないが、現在の生長の家は政治とのかかわりを絶っており、日本会議となんの関係もない。だが、戦前に谷口雅春が創始した生長の家は、右派色の強い新興宗教として知られ、戦中は軍部の戦争遂行を賛美して教勢を拡大した。戦後もその姿勢は長く変わらず、60年代には生長の家政治連合(生政連)を結成して政界進出を果たす一方、右派の学生組織として生長の家学生会全国総連合(生学連)も立ち上げ、全国の大学を席巻した全共闘運動に対峙させた。 >>140
戦前回帰願望に似た復古思想か
https://toyokeizai.net/articles/-/126794
ここに集った元活動家がいま、日本会議の中枢を牛耳っている。事務総長として組織実務を取り仕切る椛島有三氏。政策委員として理論構築などを担う百地章(日本大学教授)、伊藤哲夫(政治評論家)、高橋史朗(明星大学特別教授)の各氏。伊藤氏は安倍首相のブレーンに数えられ、現在は首相補佐官に就く衛藤晟一参院議員もかつては生学連の活動家だった。
同じく生学連の元活動家で、現在は評論家、作家として幅広く活動する鈴木邦男氏はこう断言した。
「日本会議の大もとは、生長の家だと僕も思います」
彼らは全共闘運動と対峙する中で組織運動のノウハウを身につけ、ある種の「宗教心」に突き動かされて地道な、そして執拗な右派運動をつづけてきた。とはいえ、彼らに巨大な資金力や動員力があるわけではなく、強力に下支えしているのが神社本庁を筆頭とする神社界と、数々の右派系の新興宗教団体である。なかでも全国に8万以上の神社を擁する神社界のパワーは圧倒的だ。しかも戦前・戦中期、国家神道にもとづいて厚く庇護された神社界には、戦前回帰願望に似た復古思想がくすぶっている。
「武道館一杯」の動員力
その頂点に君臨する神社本庁は、自らの政治団体である神道政治連盟(神政連)などを通じて右派政治家や日本会議を支援している。私の取材に応じてくれた神政連神奈川県本部長で、師岡熊野神社(横浜市港北区)の宮司・石川正人氏は、日本会議などが主催する集会の費用などを神政連が応分負担していると明かし、その動員力を次のように語っている。
「例えば『武道館を一杯にしましょう』というなら、それはすぐにできることだと思います」
──つまり1万とか2万とか?
「その単位なら普通に(動員)できると思います」
読者の多くは奇妙に思うかもしれない。いったいなぜ、神社本庁を筆頭とする神社界は、新興宗教などとタッグを組んで日本会議を支えるのか、と。これについても石川氏はこう明かしてくれた。
「多くの(新興宗教の)教祖は、ありがたいことにお伊勢さん(伊勢神宮)を大事にするし、地域のお宮さんを大事にしましょうとおっしゃってくれている」
──そうした新興宗教も日本会議や神政連の活動を下支えしていると。
「下支えしていますよ。日本会議の活動も、いろいろな宗教団体とか、あとは自衛隊のOB会や日本遺族会などが力になっている。動員面では、まさに神社界と宗教教団です」 >>141
実をいうと、こうした宗教右派の内部には従来、改憲論ひとつをとっても、「教理問答=カテキズム」と称される主張の相違があった。例えば生長の家の開祖・谷口雅春は、占領下につくられた現憲法は「無効」であり、明治憲法を「復元」すべきだと訴えた。その主張を絶対視する者には、現憲法の「改正」など許し難いものに映る。こうした小異を措(お)いて大同に就こうと結成されたのが日本会議だった。まさに“宗教右派の統一戦線”というにふさわしい。
もちろん、宗教団体や宗教家が政治運動をしてはならないわけではない。しかし、宗教団体や宗教家の政治活動は政教分離を侵しかねず、「宗教心」に駆動された日本会議の運動と主張は、実際に近代民主主義社会の大原則を容易に踏みにじる。
その兆候は、事務総長・椛島氏の主張にも端的に見てとれる。長年にわたって椛島氏が率いた右派組織、日本協議会・日本青年協議会の機関誌「祖国と青年」には、こんな“アジ文”がいくつも掲載されてきた。
< 今日の日本は、祭政一致の日本の国家哲学を政教分離の思想によって否定する思想風潮がある。(略)政教分離思想によって、祭政一致の国家哲学を否定することは(略)、まさに歴史を冒涜する愚挙と言わねばならない >(同誌90年8月号)
< 天皇が国民に政治を委任されてきたというのが日本の政治システムであり(略)、主権がどちらにあるかとの西洋的二者択一論を無造作に導入すれば、日本の政治システムは解体する。現憲法の国民主権思想はこの一点において否定されなければならない >(同誌93年4月号)
政教分離や国民主権の否定。さらには過大なまでの国家重視と人権の軽視。プンプンと漂う天皇中心主義と自民族優越主義=エスノセントリズム。宗教学者の島薗進氏(東京大学名誉教授)はこう警鐘を鳴らす。
「停滞期において不安になった人びとは、アイデンティティを支えてくれる宗教とナショナリズムに過剰に依拠するようになる。戦前の場合、国体論や天皇崇敬、皇道というようなものに集約されました」
──それはやはり危ういと。
「ええ、非常に危ういと思います。かつては“危ない勢力”と認識された者たちが、いまや立派に見えてしまっている。これは驚くべきことです」 >>76
>>142
各地の神社で改憲署名
そう、少し前まで日本会議に集うような宗教右派は、極論を唱える「危ない勢力」と認識されていた。だが、中国の経済成長などで日本の国際的地位が相対的に低下し、国内でも格差や貧困が広がり、不安や焦燥が社会を覆うなか、日本会議的な主張に共感する層はうっすら広がっている。何よりも安倍政権の存在が彼らを勢いづけている。
椛島氏は、安倍政権誕生後の運動について、こんなふうに語ったこともある。
「日本会議は阻止・反対の運動をする段階から、価値・方向性を提案する段階へと変化した」
現憲法は唾棄すべき戦後体制の象徴!?
その日本会議が現在、総力を挙げて取り組んでいるのが改憲に向けた運動である。戦後体制を憎悪する日本会議にとって、現憲法は唾棄すべき戦後体制の象徴であり、同じ方向を向く安倍政権下こそが改憲の最大チャンスと捉えている。フロント組織である「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を立ち上げて発破をかけ、1千万人を目指して全国各地の神社の境内でも改憲賛成の署名集めが行われたほどだ。本稿執筆時点では参院選の結果は不明だが、その結果次第では改憲が具体的な政治スケジュールに上ってくる。戦後70年の歩みは、現政権と“宗教右派の統一戦線”によって突き崩されてしまうのか。時代の大きな分水嶺である。 >>143
【日本会議の役員を代表者などが務める宗教団体】
神社本庁
伊勢神宮
熱田神宮
靖国神社
明治神宮
岩津天満宮
黒住教
大和教団
天台宗
延暦寺
念法眞教
佛所護念会教団
霊友会
国柱会
新生佛教教団
崇教真光
解脱会
※アエラ編集部が2016年1月、日本会議との関係が取りざたされている宗教団体に取材・アンケートした。無回答でも、日本会議のホームページなどで確認できた団体は掲載した
※AERA 2016年7月18日号 富岡八幡宮殺傷、姉弟の祖父は「日本会議」前身団体の中心メンバーだった! 背景に神社本庁の男尊女卑体質か
2017年12月9日 12:00
東京都江東区の有名神社・富岡八幡宮で、宮司の富岡長子氏が、元宮司で弟の茂永容疑者から日本刀で殺害されたとみられる衝撃事件。報道によれば、長子宮司が富岡八幡宮前の路上で降車したところを、待ち伏せしていた茂永容疑者らが襲撃。長子宮司の運転手も茂永容疑者の妻とみられる女性に切りつけられ、重症をおった。その後、茂永容疑者は妻とみられる女性を殺害し、自らも命を絶ったと報じられている。
富岡八幡宮は、毎年30万人が初詣に訪れるなど、「深川の八幡さま」と呼ばれ親しまれている。江戸時代は徳川将軍家から庇護を受け、現在の大相撲の前進である勧進相撲発祥の地という由緒ある神社だ。その富岡八幡宮で起こった宮司が肉親から日本刀で斬殺されるという痛ましい事件を、案の定、テレビはセンセーショナルに扱っている。
その中心が、神社の跡目をめぐるトラブルだ。茂永容疑者は90年代に父の興永氏から宮司を引き継いだのだが、2001年に辞任。
当時の週刊誌報道では、茂永氏の女性関係や金銭問題等の素行の悪さが原因で、事実上の勘当であるとも取り沙汰された。
その後は再び、興永氏が高齢による体調不良を理由に辞任する2010年まで宮司を務め、引退を機に、長女の長子氏を宮司に推挙した。
この間の2006年には、当時の興永宮司を補佐する禰宜だった長子氏に対し、茂永氏が「積年の恨み。地獄へ送る」などと記したはがきを送付し、脅迫容疑で逮捕されている。
ワイドショーではこうした"骨肉の争い"が扇情的に報じられているが、本サイトとしてより注目したいのは、
全国約8万の神社を包括する宗教法人・神社本庁が、神社人事の「任命権」を盾に、長子氏の宮司就任を実に7年間、何度もはねのけてきたという問題だ。
結果、富岡八幡宮は今年9月、神社本庁から離脱している。 >>145
「週刊金曜日」(金曜日)17年11月17日号によれば、富岡八幡宮は長子氏を後継宮司にするにあたり、神社規則に則った責任役員会での決定などを経て、神社本庁に具申した。
ところが、2010年の最初の具申では、宮司を補佐する権宮司が上席に在職するとの理由で長子氏を宮司代務者として任命。
その後、13年、14年、そして今年3月の3回に渡り、富岡八幡宮は責任役員会で決議して具申を行ってきたが、神社本庁からは音沙汰なしだったという。
なぜ神社本庁は、かたくなに長子氏を宮司に任命しなかったのか。前述した通り、富岡八幡宮は参拝者らから高い人気を持ち、言い換えれば、財政的にも恵まれているからこそ、その影響力は神社界でも小さくない。
実際、神社本庁が定める「別表神社」にも指定されていた。そもそも、長子氏の祖父・盛彦氏は、神社本庁の事務総長(現在の総長)も務めた神社界の重鎮だ。
補足しておくと、テレビはほとんど触れようとしないが、富岡八幡宮は日本最大の改憲右派団体「日本会議」との関係も深い。 >>146
日本会議の前身団体のひとつ「日本を守る会」は、当時の鎌倉円覚寺貫主・朝比奈宗源氏が神道・仏教系の宗教団体に呼びかけて1974年に結成したもので、元号法制化運動を強く推進していった(俵義文『日本会議の全貌』花伝社)。
そのとき、神社界から尽力したひとりが前述の長子氏の祖父・盛彦氏で、生長の家の谷口雅春・初代総長とともに設立に奔走したと言われる。
そして1997年、「日本を守る会」が、宗教者以外も取り込んだ改憲右派団体「日本を守る国民会議」と合流し、「日本会議」が誕生。
日本会議は草の根ネットワークの拡張を目指して各地に支部を発足していくが、
その全国支部第1号が江東支部で、98年に初代支部長に就任したのが当時、富岡八幡宮宮司の茂永容疑者だった。
当時の産経新聞には
〈江東支部では今後、
(1)教科書の「従軍慰安婦」記述削除
(2)夫婦別姓制に代わる旧姓の通称使用を認める法改正の推進
(3)首相の靖国神社公式参拝実現−などに向けて運動を続ける〉
(97年7月14日付)と記されている。
また、富岡八幡宮は2月11日の建国記念日に日本会議江東区支部と共催で「建国記念式典」を開催している。
このように、富岡八幡宮は一般参拝者からの人気とは別に、神社界・右派運動界隈でも一目を置かれる神社だった。
そう考えてみても、親族間トラブルは神社界では有名だったにせよ、神社本庁が長子氏の宮司任命を拒んだのは不可解だろう。 >>147
前述「週刊金曜日」の取材に対して、長子氏はこのように語っている。
「神社本庁は、度重なる責任役員会の具申や、氏子総代、神輿総代、職員全員の嘆願書まで無視し、地域の神社としての特性やあり方を考えることすらなく、氏子を代表する方々の総意を一向に汲もうとしませんでした。
祖父と本庁との関係は承知しておりましたが、亡き祖父の思いは今の本庁のあり方とは正反対であったと言っても過言ではありません」
そうしたことや、長子氏が事件直前のブログで「一部の神社の神主には、セクハラ、パワハラ、ネグレクト、嫌がらせ......が当たり前のように、横行している」と告発していたこともあって、一部では神社界の"男社会"や"男尊女卑"が影響したのではとの推測も聞かれる。
こうした見方について都内の神職に聞くと、「女性の宮司もいます」としたうえで、このように語った。
「神社界でも戦後は女性の神職養成にも力を入れ、実際に宮司を務められている方もいます。ただ(富岡八幡宮のような)別表神社となると、いま現在、女性の方が宮司となられているところを私は知りません」
事実、同じく別表神社である大分県の宇佐神宮でも、女性宮司の就任を神社本庁が拒否している。
宇佐神宮は2008年、宮司家の世襲で唯一の末裔である到津克子氏を責任役員会の全員一致で宮司にすることに決定した。
ところが、神社本庁はそれをはねのけて県神社庁長を特任宮司に据え、その後16年2月には神社本庁の小野崇之総務部長(当時)を宮司に就任させた。
実は、この小野氏は「神道政治連盟の打田文博会長の腹心的存在」(神社本庁関係者)で、本サイトでも追及してきた"神社本庁・不動産不正取引疑惑"にも関係していると囁かれている。
この不動産問題については、内部で取引に疑義を呈した幹部職員2名に神社本庁が解雇等の懲戒処分を下し、元幹部職員らが処分無効等を求めて係争中だ。
いずれにしても、今回の富岡八幡宮日本刀殺傷事件の背景には、神社本庁による人事権の掌握の問題が存在していると見るべきだろう。
宇佐神宮の件も、本庁の不動産不正取引疑惑に関する"口封じ"的な職員処分の件もそうだが、少なからぬ神職らの間では「本庁の一部が強大な権限を振りかざしているせいで、神社界全体の信用が落ちている。氏子たちに顔向けできない」との悲鳴も漏れている。(編集部) >>148
>この不動産問題については、内部で取引に疑義を呈した幹部職員2名に神社本庁が解雇等の懲戒処分を下し、元幹部職員らが処分無効等を求めて係争中だ。
神社本庁が「絶対に負けられない戦い」で全面敗訴 裁判で訴えた“強烈な言葉”とは
2021/03/31
法廷闘争の末、全国約8万の神社を束ねる“総本山”が断罪された――。
内部告発を理由に懲戒解雇されたのは不当だとして、宗教法人「神社本庁」(渋谷区)の元部長(61)らが処分の無効を訴えた訴訟。東京地裁は3月18日、「懲戒権の行使に客観的な合理性はなく、社会通念上相当性を欠く」と原告の訴えを認める判決を言い渡した。
「神社本庁が15年10月に1億8400万円で売却した職員寮が即日転売され、後に3億円以上に値上がりした疑惑が発端でした。元部長らは同様の案件が複数あり、売却先が同じ不動産業者で随意契約だったことを問題視。『不当に安く売却したのは背任行為に当たる』などとした内部告発の文書を配布したのです。これに対して神社本庁は17年8月、元部長を懲戒解雇し、裁判になっていました」(神社本庁関係者)
元部長(左)は会見で「主張がほぼ全面的に認められた」
内部告発で「疑惑の張本人」と名指しされたのが、神道政治連盟の打田文博会長。神政連は日本会議とともに、憲法改正を目指す安倍晋三前首相らの活動を支えてきた団体だ。その打田氏とともに神社本庁執行部を総長として率いるのが、田中恆清氏である。異例の総長4期目に突入し、内部では「打田―田中体制」(同前)と評されてきた。
しかし、その内実は危うい。不動産取引疑惑以外にも不倫スキャンダルなどが相次ぎ、“こんぴらさん”こと「金刀比羅宮」(香川県)のように本庁から離脱する動きも出ている。
神社本庁側が“強烈な言葉”で訴えた体制の正当性
神社界と縁のある皇室との関係も微妙だ。神社本庁において象徴のトップである「統理」の多くは旧皇族らが務め、現統理の鷹司尚武氏も昭和天皇の孫にあたる。だが、その鷹司氏はカネや女性問題ばかりが報じられる田中氏ら執行部に対し、「顔も見たくない」と不信感を募らせてきた。
それだけに、打田氏や田中氏にとって、「今回の裁判は絶対に負けられない戦い」(前出・本庁関係者)だった。事実、神社本庁は裁判所に提出した最終準備書面でも、強烈な言葉で体制の正当性を訴えていた。
〈(敗訴すれば)包括宗教団体としての組織維持ができなくなる。被告は、伊勢神宮や皇室と密接な関係があって、いわば『日本の国体』の根幹を護っている最後の砦である。(中略)決して裁判所が日本の国体破壊につながることに手を貸す事態があってはならないと信じる次第である〉
だが、“詭弁”は裁判官に通じなかったようだ。 安倍政権を支える神社界が大揺れ!靖国神社と神社本庁の「異常事態」
改憲へ突き進む安倍首相の前途多難
靖国神社宮司の「天皇批判」
第4次安倍改造内閣が発足、社会保障制度改革、生涯現役社会、女性活躍社会の実現などを掲げているが、安倍晋三首相の“宿願”は、敬愛する祖父・岸信介元首相の遺志を継ぐ憲法改正である。
改憲に関しては、下村博文・憲法改正推進本部長のもとで作業を進め、「自民党のリーダーシップで秋の臨時国会への改正案提出を目指す」と、言明した。
改憲を支える一大勢力が神社界である。全国8万の神社を傘下に持つ神社本庁は、1969年、政治団体の神道政治連盟を発足させ、憲法改正に取り組んできた。
また、田中恆清・神社本庁総長は、改憲の中核を担う日本会議副会長で、16年正月、初詣で賑わう各神社に署名簿を置かせ、「憲法改正1000万人署名活動」を主導した。
その神社界が、改憲作業を加速させる重要な時期を迎えて揺れている。
『週刊ポスト』は、10月1日、靖国神社トップの小堀邦夫宮司が、6月に行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」の席上、「今上天皇は靖国神社を潰そうとしているんだよ」と、衝撃的な発言をしている事実を明かし、音声データを公開した。
小堀宮司の苛立ちは、今上天皇が即位以来、一度も靖国を参拝していないところから発している。このまま、親拝(天皇の参拝)がなければ、その後も見込まれないとして、「今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」と、続けている。
明治2年、官軍側犠牲者の慰霊顕彰のために創建されて以降、靖国神社は政治体制の移り変わりのなかで揺れ動いてきた。
戦後、象徴天皇制のもと、昭和天皇は靖国にも距離を置くようになったが、なかでも靖国にA級戦犯が合祀(78年)されたことで、「だから、私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」という気持ちが、「冨田メモ(冨田朝彦元宮内庁長官が昭和天皇の非公開発言を記したメモ)」に、記されていた。
今上天皇は、その意を受け継いだように靖国には参拝せず、戦没者慰霊は、サイパン、パラオ、フィリピンと現地に赴いて行なった。そのことに関し小堀宮司は、「どこを慰霊の旅で訪れようが、そこに御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論をし、結論をもち、発表することが重要やと言っているの」と語り、前述の「靖国潰す発言」が飛び出した。 平成の最後までマスコミがスルーし続けた…天皇・皇后の護憲発言と安倍政権へのカウンター
2019年4月30日 19:30
本日4月30日、明仁天皇が退位する。メディアではここのところ連日、明仁天皇と美智子皇后の軌跡を振り返る特集が繰り返し流れている。しかし、そうした回顧特集のなかでほとんど触れられていないことがある。
それは、明仁天皇と美智子皇后の、平和と護憲の思い。そして、それを壊そうとする安倍政権へのカウンターを発信してきたことだ。
もともと即位後の朝見の儀でも「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い」と表明したように、明仁天皇は以前から日本国憲法を遵守する考えそして平和への思いを強調してきたが、とくに第二次安倍政権発足以降は、安倍首相の“戦争のできる国づくり”政策、改憲に強い危機感を抱き、政権に警鐘を鳴らしているとしか考えられない、踏み込んだ発言を繰り返し行なってきた。
そして、同じ年の12月、今度は、明仁天皇が80歳の誕生日会見でこれまでの歩みを振り返って「やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです」と語り、こう続けたのである。
「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」
日本国憲法を「平和と民主主義を守るべき大切なもの」と最大限に評価する明確な“護憲発言”だった。
しかも、明仁天皇はわざわざ憲法制定過程における「知日派の米国人の協力」に言及していた。これは、右派の言う「米国による押し付け憲法」なる批判を牽制したものとしか思えなかった。
安倍首相は2012年に党のネット番組で「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」と日本国憲法を罵倒していたが、明仁天皇の誕生日会見での発言は、それと真っ向から対峙するものだった。 靖国神社の宮司が「反天皇」になった理由
靖国神社の宮司が天皇を批判するという前代未聞の出来事が発覚し、保守派のあいだに激震が走っています。
報道によれば宮司は、「どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう」と今上天皇の慰霊の旅を否定し、「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか」と述べています。それに加えて、「もし、御在位中に(今上天皇が)一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」と語ったようです。
この発言が報じられて宮司は退任の意向を示しましたが、これだけではとうてい収まりそうもありません。靖国神社は明治維新以来の英霊を祀るために、天皇を祭司として建立されました。その天皇を宮司が否定するならば、神社として存続する根本的な理由を問われます。
暴言の背景には、A級戦犯合祀以来、天皇が靖国を親拝していないことがあります。保守派は諸外国の批判に配慮する「君側の奸」を攻撃してきましたが、元宮内庁長官のメモによって、「だから、私はあれ(A級戦犯合祀)以来参拝していない。それが私の心だ」という昭和天皇の発言が明らかになりました。
靖国神社は祭司である昭和天皇にいっさい相談せず、独断でA級戦犯を合祀しています。昭和天皇はそれに納得せず、今上天皇もその意を汲んで、在位中にいちども靖国を訪れない。このままでは皇太子も同じで、「天皇の社」である靖国神社はつぶれてしまうのではないかという危機感が宮司の暴言になったのでしょう。
今上天皇が朝鮮半島にゆかりのある神社を訪問したとき、ネットでは天皇を「反日左翼」とする批判が現われました。従来の右翼の常識ではとうてい考えられない奇妙奇天烈な現象ですが、ネトウヨ(ネット右翼)の論理では、天皇であっても「朝鮮とかかわる者はすべて反日」なのです。
これと同様に、靖国神社の宮司の論理では、英霊に親拝しない天皇は「反靖国」であり、「反日」だということなのでしょう。
宮司が会議でこれを堂々と発言し、それに対してなんの反論もなかったということは、神社内部でこうした議論が日常的に行なわれていたと考えるほかありません。
驚くべきことに、保守派がもっとも大切にする靖国神社はネトウヨの同類に乗っ取られていたのです。
天皇が靖国に来られない原因をつくったのが自分たちなら、なにをいっても振り上げた拳は自分のところに戻ってくるだけです。A級戦犯合祀が問題の本質である以上、分祀以外に天皇親拝を実現する方法はないでしょうが、それを自分からいうことはできません。靖国神社が独断で合祀したことについて、これまで陰に陽に批判されてきており、それに耐えきれず「なにもかも天皇が悪い」と“逆ギレ”したと考えれば、今回の異様な出来事も理解できます。
靖国神社が「反天皇」であることが白日の下にさらされて、まっとうな右翼/保守派は自らの態度を示すことが求められています。いまのところ、重い沈黙が支配しているだけのようですが。 昔は寺も神社も同居してたけど明治以降に脱亜でわざわざ分けたんだよ >>149
>開会の辞が田中恆清・日本会議副会長(神社本庁総長)より行われた。
>続く特別来賓挨拶では、安倍晋三自由民主党総裁が祝辞メッセージを寄せ、
>美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表の櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)、
https://www.nipponkaigi.org/about/20years#about20years06
誇りある国づくりを目指して平成9年より活動してきた日本会議・日本会議国会議員懇談会の設立20周年記念大会が、平成29年11月27日、東京プリンスホテルで開催され、全国各地より2000名が結集した。司会は、鬼木誠衆議院議員(国会議員懇談会事務局次長)、半井小絵気象予報士(写真)。
この20年の足跡を振り返り、国家の諸課題に引き続き取り組むと共に、先の衆院選の結果を受け新たなステージに立った憲法改正運動の前進を誓い合う大会となった。
大会は、冒頭、20年の足跡を綴ったビデオが上映されたあと、開会式が行われ、国歌斉唱に続いて、塚本幸一初代会長、稲葉興作第二代会長はじめご指導いただき活動を共にしてきた関係物故者への黙祷が行われ、
開会の辞が田中恆清・日本会議副会長(神社本庁総長)より行われた。
主催者挨拶は、日本会議からは田久保忠衛会長が挨拶。また日本会議国会議員懇談会からは、13年間にわたり第三代会長としてご尽力いただいた平沼赳夫氏よりのメッセージの後、
平沼氏の推薦で第四代会長に就任した古屋圭司新会長(衆議院議員)が新任の挨拶を併せ、
力強く主催者挨拶を行った。
続く特別来賓挨拶では、安倍晋三自由民主党総裁が祝辞メッセージを寄せ、
憲法改正について「歴史的な使命を果たす」と明言、会場からは大きな拍手が沸き起こった。出席の国会議員の紹介(第二部祝賀会と合せ本人ご出席57名)に続いて、各党よりの祝辞が、下村博文衆議院議員(自由民主党憲法改正推進本部顧問)、松沢成文参議院議員(希望の党参議院議員団代表)、馬場伸幸衆議院議員(日本維新の会幹事長)から寄せられた。
続いて、各界よりの提言として、
美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表の櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)、
飯塚繁雄氏(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表)、古森義久氏(麗澤大学特別教授)、
竹田恒泰氏(作家)より行われた。
そして、大会に参加している憲法改正の国民投票に向けて草の根国民運動を推進する支部代表(252支部のうち156支部より参加)、憲法おしゃべりカフェを1000回以上開催してきた日本女性の会、これら民間と連携する日本会議地方議員連盟がそれぞれ紹介。これを受け活動の現場から、都道府県本部を代表して加戸守行日本会議愛媛県本部相談役(前愛媛県知事)、地方議員を代表して松田良昭地方議連会長(神奈川県議会議員)、青年を代表して別府正智氏(NIPPON憲法PROJECT運営委員)より発表が行われた。
大会宣言文が網谷道弘日本会議理事長より発表され、採択された。最後に山谷えり子参議院議員(国会議員懇談会政策審議会長)の先導で参加者全員による勝鬨が上げられ、記念大会は盛会裡に終了した。
第二部祝賀会では、衛藤晟一参議院議員(国会議員懇談会幹事長)よりの挨拶、澁木正幸日本会議経済人同志会会長への感謝状授与ののち、三好達日本会議名誉会長の発声で乾杯が行われ、参加者の懇親が深められた。
なお当日の模様は、テレビ、新聞など多くのメディアが報道した。以下、登壇者の発表の内容を掲載する(文責・編集部)。 そもそも宗教全般的に敵視してるんじゃね?
それに対して自称無宗教の日本人はなぜ怒るんだい? 主要な神社の殆どが神社本庁傘下にある時点で嫌う理由は十分にある >>158
特別来賓ご祝辞 安倍晋三
歴史的使命を果たす
安倍晋三
このたび、日本会議・日本会議国会議員懇談会が設立20周年を迎えられましたことを、心よりお慶び申し上げます。
「誇りある国づくり」を目指し、美しい日本を守り伝えるため、草の根の国民運動を展開してこられた皆様の御尽力に、深甚なる敬意を表します。
先人たちが積み上げてきたものの重みを感じながら、大切なものを守るためにこそ変革していく。皆様の活動の大きな成果である教育基本法の改正は、心ある国民が育ち、品格ある美しい国・日本を創る上での礎となりました。
東日本大震災における皆様方の献身的な活動は、今も忘れることはできません。日本人の誇り、家族や地域の絆が復興の原動力であることに思いを致し、当時野党であった私も含め、多くの人々が勇気づけられました。東北の復興なくして、日本の再生なし。あの困難の日々を胸に刻み、東北の未来を切り拓いていきます。
今年は、憲法施行70年の節目の年であります。憲法は、国の未来、理想の姿を語るものであり、国民的な議論が大いに深まることを期待しております。自由民主党は、国民に責任を持つ政党として、憲法審査会における「具体的な議論」をリードし、その歴史的使命を果たしてまいります。
緊迫する北朝鮮情勢、急速に進む少子高齢化。この「国難」とも呼ぶべき困難を、皆様と共に乗り越えていく。そして、皆様と共に、日本を、世界の中心で輝く国としていく決意です。
最後に、本大会の御盛会と、皆様の一層の御発展を祈念して、私からの祝辞といたします。 独立を回復してからの日本の政治の復古調に合わせるように、戦犯は国内で権利や名誉を徐々に回復していきました。その辺の事情を解説した毎日新聞の記事(毎日新聞7/13/05、毎日新聞4/30/06)から主なできごとを整理しておきましょう。
この記事では「戦犯の復権」とか「国内外で二重基準の政府」という見出しが使われています。
(1)1945年、GHQ(連合国軍総司令部)は神道指令を通達、国家神道が廃止され靖国神社は一宗教法人となる。
(2)1950年、法務総裁は「軍事裁判により刑に処せられた者」を国内刑法犯と同様の扱いとすると通知した。
(3)1952年、この通知は講和条約発効直後に撤回され、戦犯は選挙権などを回復する。
(4)1953年、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が改正され、拘禁中に死亡した戦犯の遺族にも遺族年金などを支給するようになった。
(5)1952年〜1955年、衆参両院の本会議で戦犯釈放・赦免を要請する決議が5度にわたり行なわれた。冷戦を背景に連合国は徐々に押し切られ、A級戦犯は1956年までに釈放され、重光葵(まもる)元外相らは閣僚も務めた。
(6)1956年、旧厚生省引揚援護局長が「なし得る限り好意的な配慮をもって、靖国神社合祀事務の推進に協力する」と各都道府県に通達。靖国神社の照会を受けた都道府県は、旧陸軍関係の情報を調査し神社側が用意した祭神名票に結果を記入、これを引揚援護局が取りまとめて神社側に送った。
援護法の対象となる戦死者のリストを祭神名票として靖国神社に送付したのは、旧厚生省引揚援護局長だったのである。A級戦犯は1966年に送付された。
(7)1959年、一宗教法人である靖国神社は名票を元にして戦犯の合祀をBC級戦犯から始めた。しかし、A級戦犯14人の合祀は長年にわたり筑波藤麿宮司が預かり実施しなかった。
(8)1966年、政府は「極東国際軍事裁判に際し、被告全員の無罪を主張した功績」によりパール判事(インド代表)に勳一等瑞宝章を授与した。
(9)1969〜1973年、自民党は5回にわたって靖国神社の国家管理を求める「靖国神社法」を提出したが世論の反発が大きくすべて廃案となった。
(10)1978年、松平永芳宮司が「国家機関の決定」と強調してA級戦犯を密かに合祀した。
公になったのは翌1979年の報道によってである。合祀された14人の東京裁判での判決は、絞首刑7名(東条英機、板垣征四郎、土肥原賢二、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅)、終身禁固刑4名(平沼麒一郎、小磯国昭、白鳥敏夫、梅津美治郎)、禁固20年(東郷茂徳)、公判中に死亡2名(松岡洋右、永野修身)である。
東京裁判では、政府の指導的立場にいたA級戦犯28人が平和に対する罪で裁かれました(毎日新聞4/30/06)。
上記以外の者に対する判決は、終身禁固刑12名(荒木貞夫、橋本欣五郎、畑俊六、星野直樹、賀屋興宣、木戸幸一、南次郎、岡敬純、大島浩、佐藤賢了、島田繁太郎、鈴木貞一)、禁固7年(重光葵)、精神障害を理由に免訴(大川周明)、などの14名です。
ちなみに、東条内閣の商工大臣をつとめた岸信介はA級戦犯容疑者として逮捕され巣鴨拘置所に収監されましたが、不起訴となり釈放されています。
安倍晋三首相の父である安倍晋太郎は岸信介の娘婿です。
岸信介とその実弟である佐藤栄作も首相を務めました。
安倍晋三首相は、祖父である岸信介が東条内閣の一員として日米開戦の詔書に署名したことについて「判断の誤りであった」と国会の答弁で認めています(日経10/06/06) >>163
靖国神社は一宗教法人にすぎないので、国が公的に戦犯の合祀を依頼することはできません。
実際には一部のものがひそかにおこなったことです。
旧厚生省引揚援護局長が靖国神社合祀事務の推進に協力して旧陸軍関係の情報を集め、神社側が用意した祭神名票に結果を記入したものを神社側に送っただけのことです。
松平永芳宮司が「国家機関の決定」などと言っているのは正しくない。
日本経済新聞社の井上亮記者がスクープした富田メモの報道は新聞協会賞を受賞しました(日経10/15/06)。
昭和天皇が松平永芳宮司のおこなったA級戦犯合祀に強い不快感を示されたことを当時の宮内庁長官・富田朝彦が記録したメモを報じたものです(日経7/20/06)。
昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、
「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、
当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。
昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。
昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。 (日本経済新聞 7月20日) >>163
昭和天皇が靖国神社A級戦犯合祀への怒りを詠んだ未発表の歌が...それでも参拝する安倍内閣は"逆賊の集団"か!?
2015年8月15日 19:30
終戦記念日の8月15日、またぞろ恒例の閣僚による靖国参拝が実施された。予想通り、高市早苗総務相に有村治子少子化担当相、次期総理説も出ている稲田朋美自民党政調会長も参拝した。安倍首相も本人の参拝こそ見送ったが、例の言論弾圧の先兵・萩生田光一首相特別補佐を名代にたてて、玉串料をおさめた。
しかし、この底の浅い歴史修正主義者たちは、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀を嘆いたこんな歌を詠んだことを知っているのだろうか。
〈靖国の名にそむきまつれる神々を思へばうれひのふかくもあるか〉
「靖国の名にそむきまつれる」というのはかなり激烈な表現だが、実はこの歌は正式には発表されていない。その存在を明らかにしたのは、朝日新聞の元宮内庁担当記者・岩井克己氏だ。
周知のように、1978年、靖国神社が松平永芳宮司の手でA級戦犯合祀を行って以来、昭和天皇は靖国参拝を取りやめ、亡くなるまで一度も行っていない。
そして、2006年、日経新聞が元宮内庁長官・富田朝彦が遺した1988年4月28日のメモに、昭和天皇のこんな言葉が記されていることをスクープした。
〈私は或る時に、A級が合祀されその上松岡、白取までもが筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが松平の子の今の宮司がどう考えたのか易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに親の心子知らずと思っているだから私あれ以来参拝していないそれが私の心だ〉
昭和天皇は、明らかに靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感をもっており、それが参拝拒否の原因だった。 >>165
また、昭和天皇には、発表された御製(天皇の短歌や詩作)のなかにも、靖国神社のA級戦犯合祀を憂えた歌がある。1986年8月15日に詠まれたもので、1990年に出版された御製集『おほうなばら』(読売新聞社)に採録された歌だ。
〈この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし〉
この歌については、天皇の歌の相談役をつとめていた歌人・岡野弘彦が『昭和天皇御製四季の歌』(同朋舎メディアプラン)の解説のなかで、当時、徳川からこんな説明を受けたことを紹介している。
「ことはA級戦犯の合祀に関することなのです。天皇はA級戦犯が処刑された日、深く謹慎して悼みの心を表していられました。ただ、後年、その人達の魂を靖国神社に合祀せよという意見が起こってきたとき、お上はそのことに反対の考えを持っていられました。その理由は二つあって、一つは国のために戦に臨んで、戦死した人々のみ魂を鎮める神社であるのに、その性格が変るとお思いになっていること。もう一つはあの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根を残すことになるとお考えなのです。ただ、それをあまりはっきりお歌いになっては、さしつかえがあるので、少し婉曲にしていただいたのです」
つまり、冒頭で紹介した未発表の〈靖国の名にそむき...〉という歌は、1990年に発表され、徳川が「婉曲にしていただいた」と語った御製〈この年のこの日にも...〉の元歌だった可能性が非常に高いのだ。発表された御製でも不快感は十分伝わってくるが、昭和天皇のA級戦犯合祀への怒りはもっと激しかったといえるだろう。
徳川は岩井氏による聞き書き『侍従長の遺言』でも、〈合祀がおかしいとも、それでごたつくのがおかしいとも、どちらともとれるようなものに整えさせていただいた。(中略)それなのに合祀賛成派の人たちは都合のよいように曲解した〉と批判していた。つまり、徳川は昭和天皇の真意をねじ曲げるA級戦犯擁護派を牽制するために、元歌をあえて岩井氏に託した、ということなのかもしれない。 >>166
しかし、これだけの事実があっても、安倍政権の歴史修正主義者たちは今も、昭和天皇がA級戦犯合祀に怒っていたという事実から目を背け、靖国参拝を続けている。そして、安倍政権をバックアップする右派メディアは昭和天皇の不快感を示した富田メモをでっちあげだと言い張り、発表された御製についても、A級参拝でなく、靖国参拝反対の動きへの不快感を示されたものだなどという嘘をふりまいている。
とにかくA級戦犯を擁護したくてたまらないのだ。
だが、彼らはA級戦犯合祀を肯定することがイコール天皇否定につながることをわかっているのだろうか。この倒錯を指摘したのは、昨日も本サイトで紹介した保阪正康氏の『安倍首相の「歴史観」を問う』(講談社)だ。
保阪氏によると、松平永芳宮司(当時)がA級戦犯の靖国神社合祀を押し切った背景にあるのは、太平洋戦争が終わったのは軍事的には1945(昭和20)年8月15日だが、政治的に終わったのは1952(昭和27)年4月28日、つまりサンフランシスコ講和条約発効の日であるという認識だ。
つまり、松平は占領期の6年8カ月を太平洋戦争の「政治の戦争」であり、東京裁判で絞首刑になったA級戦犯を「政治の戦争」による戦死だと見なす。だから、靖国神社に合祀したという理屈なのだ。
しかし、占領期をアメリカ中心の連合国との政治的戦争だったとすると、GHQを受け入れた吉田茂元首相は"敵国アメリカ"の傀儡政権であり、昭和天皇も戦勝国に屈服した"傀儡天皇"として、糾弾される存在になってしまう。
まったく現実が見えていない妄想的な歴史認識だが、しかし、靖国参拝にこだわり、日本国憲法を「占領憲法」「押しつけ憲法」とする安倍首相たちの姿勢は、この松平宮司の歴史観の延長線上にある。彼らは、占領期を屈辱と感じ、それを受け入れた昭和天皇を心の底では傀儡とみなしているということだろう。
これで、「天皇中心の国家をつくる」などと標榜しているのだから唖然とするが、ようは連中の考え方は、自分たちの戦争推進、侵略肯定、国民の人権制限への欲望を天皇という存在を借りて正当化しようとしているだけなのである。だから、自分たちの欲望を否定する天皇の存在などは平気で無視することができる──。
そういう意味では、安倍政権に群がる連中はまさに戦前の軍部と同じ、もはや「保守」ですらないのかもしれない。 天皇家もアメリカ大統領バイデンも不快感を示す靖国神社に参拝する安倍は反日
2013年に安倍首相が靖国神社を参拝した際、これを批判した国として、中国や韓国よりも、米国が最も激しかったという事実があります。それを主導したのはバイデン副大統領でした。
彼は安倍首相の靖国参拝前に「行くな」と言い、参拝後は「残念だ」ということを個人的な伝達ではなく、大使館を通じた米政府の公式見解として出しました。 左翼とか革新て言葉に負のイメージが染み付いてしまったから
リベラルを自称するようになったんだろうけど
やってること変わんないんだからそのうちリベラルも名乗んなくなるんだろうなこいつら 改憲派 靖国参拝 低能右翼は
護憲派天皇家に弓を引く朝敵 反日 改憲派 自民党 公明党 維新 国民民主 は反日
【朗報】岸田ッピ「みんなあけおめ😘今年のテーマはやっぱ改憲だよね🤗」終わりだよこの国 [258392219]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1640964209/
1 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 7b3c-8pNX) 2022/01/01(土) 00:23:29.28 ID:Bc8ghOK80● BE:258392219-2BP(2000)
岸田文雄首相は1日付で年頭所感を発表した。厳しさを増す国際情勢を踏まえ「外交・安全保障の巧みなかじ取りと安定政権の確立がますます求められている」と強調。首脳外交を本格的に始める年だと訴えた。憲法改正は「本年の大きなテーマだ」として国民的議論の喚起に意欲を示した。
新型コロナのオミクロン株といった新たな脅威への対処方針では「『最悪を想定し、慎重にも慎重を期す』との危機管理の要諦を踏まえ対応する」と改めて言明した。予防、検査、早期治療の流れを強化し「社会全体としてコロナのリスクを引き下げる」とアピール。昨年策定した経済対策を一日も早く実現すると決意を示した。
https://nordot.app/849663812823252992?c=39550187727945729 起源からして天皇崇拝が目的のものを
名前が違うだけで別物ってのは
アクロバット擁護過ぎんだろとは
前々からずっと思ってたわ 中核派は一般の神社を敵視して放火事件起こしてた過去があるからな
お互い永遠に受け入れられないのでは >>170
悪いことや良いことの責任をアウトソーシングするための施設。
運の良さや悪さや努力の有無を棚上げして神様に八つ当たりしていいのよ。 >>171
違う
本来リベラルが自由主義 社会主義はソーシャル
ところがアメリカでは社会主義が共産主義のイメージでソーシャルと名乗れなかったので自由主義が新自由主義
社会主義が自由主義という言い換えを行なっておかしなことになった 賽銭って神主の収入になるだけなのになんで願い事が叶うシステムになってるんだい? >>181
神主の収入じゃなくて神社本庁の収入な。
銀行員立ち会いでしか賽銭箱は明けられないし
本庁への送金もその銀行で行う。 んでお金を入れる意味は
猫動画でカリカリを皿に出したときの猫の反応で説明がつくだろ。
小銭の音で神様の気を引いてるわけ。 神社=日本会議。
日本会議≒朝鮮カルト宗教統一教会と知って神社関係とは一切縁を切った。
初詣は山とか海に行く様になったけど、こっちの方がご利益あると感じてる。 >>25
神社本庁と敵対してるからオッケーっていうのがバカモメンって感じで草 リベラルじゃねーよそいつらは
共産主義者でパスポートの色が違う面々だろ >>174
ていうか共産主義は既存宗教を否定する宗教だからね
習性でしかないのよ 伏見稲荷でこんなオミクジが出た。
今は病気と怪我で色々と苦労してる最中。
末大吉すえだいきち
稲荷山けふきさらぎの初午に乗りてぞ神は人をみちびく
このみさとしは、思はぬ他人の助けによつて、思う事の成就する兆である。
ただし援助者に充分の礼をつくさないと、身に危害をうけることがある。
一、方がく 東北の方よし
一、勝負事 良し
一、たて家やうつり 良し
一、えんだん 良し
一、病気 なおる、信心すべし
一、たびだち 良し行先にて油断するな
一、まち人 来る、先よりさたあり
一、うせもの 思はぬところより出る
一、あきない 買い良し、うりは見合せて良し 神社本庁と日本会議どうにかしてくれないと、国家神道の残滓としか思えない >>1
神社を敵視しているリベラルなんかいないよ
お前の脳内リベラルなんじゃない?
もしくは「リベラル」の定義がお前だけ違うとか 創価が鳥居をくぐれないって言われてたけど神道と戦ってる人も何か別の宗教なんじゃないの 伏見稲荷ってマジで朝鮮人の氏神が起源って知ってた?
「秦氏の祖霊として創建」の縁起
「イナリ」の縁起としては『山城国風土記』にあったとされる秦伊侶具のものが有名である。 >>196
秦氏は朝鮮半島を通過して日本に渡来したキルギス人だからな。朝鮮半島は通り道 日本会議がなんで生まれたか考えなさいな
あんたらが戦前の日本を叩きすぎたから生まれたのよ
ちょっとは自己反省もしたらどうなの >>194
日本書紀を聖書とした一神教があっちで出来上がりつつある。
日本書紀の登場人物は全員韓国の神なんだと。 >>33
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