泉重千代伝説に比べたら雑魚すぎw

飼っていた牛を死なせた頃から、60歳代から70歳代半ばとされる年齢まで沖仲仕として働き、78kgの黒砂糖の樽を運んでいたという[10]。

100歳前後とされる歳まで本格的な農作業をしていたが、1961年から老齢福祉年金が、1971年からは伊仙町独自の敬老年金が出るようになり、これに加えて畑の賃料が泉の収入となっていた。

1979年の114歳とされる歳までは鍬で草取りをしたり、畑に小さな椅子を置いてサトウキビの葉っぱ落としの作業をしていた[12]。

1982年頃まで散歩が日課で、120歳を過ぎたとされる年齢でも、着替え、布団畳み、トイレや入浴も自分1人で行っていた[21][22]。