牟田口は作戦が始まると、補給を心配する第一線部隊に対して「ビルマにあって、周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人はもともと草食動物なのである。
これだけ青い山を周囲に抱えながら、食糧に困るなどというのは、ありえないことだ」と大真面目に訓示し、第一線部隊を心底呆れさせた。
現代でも受験勉強一筋で純粋培養された、いわゆる「エリート」の中には、著しく一般常識を欠く者が少なからず存在するが、当時の陸軍上層部でも事情は同じだったのである。
が、逆にここまで常識外れの発言となると逆に清々しい。

牛はチンドウィン河の渡河中に半数が溺死し、残りもインパール山中で餌にするべき草が無く次々と倒れた。兵士が携行していた食糧が尽きると、前線ではほとんど食べるものがなくなった。
先述の牟田口の非常識な訓示でも、現場では実行せざるを得ず、タケノコ、野イチゴ、キノコ、ミミズなど食べられると判断されたものは何でも口にするようになった。最終的には、戦死した戦友、あるいは死にかけた戦友の肉の売買まで発生した。
この間、牟田口自身ははるか400km離れた後方のリゾート地・メイミョウにある指令本部でのんびり過ごしていた。なお、前線のコヒマからメイミョウまでは金沢から仙台くらいの距離がある。

インパール作戦開始後も、牟田口は、夕方になれば芸者遊びに現をぬかしていた。
当地の芸者は性的サービスも伴っており、今日で言うところの風俗嬢のような面も兼ね備えていて、大阪の飛田新地あたりから呼んでいたようだ。
当地の兵站病院に勤務していた兵士の証言に「飛田遊郭から来た牟田口専属の芸者が妊娠し、手術を受けた」との旨のものがあり、前線での兵士の苦闘を尻目に本人は相当ハッスルしていたようだ。

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