天台宗「人は皆仏陀になれるんだぞ!」法相宗「ばーか、声聞、縁覚、菩薩で悟りの種類は違うんだボケ」1200年前の大論争 [377482965]
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今から1200年前、2人の僧侶の間で行われた“仏教史上最大の対決”の大論争…「三一権実諍論」ってなんだ?(文春オンライン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/49898e215bf8f47ff018a401f72a9a134dd2719d
「テーマ自体、一般的にはそんなに知られていないと思っていたので、予想以上の反響に驚いています」
今から1200年前。“仏教史上最大の対決”の大論争が、2人の僧侶の間で5年間にわたって行われた。その2人とは比叡山に延暦寺を開き天台宗の開祖となった最澄と、現在の福島県会津地方を中心に活動していた法相宗の徳一だ。師茂樹さんが上梓した『最澄と徳一』は発売後1週間で増刷がかかり、以降も版を重ね、現在1万5000部を突破している。
「一カ所でブームが起こっている、というわけではなく、地方の小さな書店から少しずつ注文が入り、増刷に繋がっているようです。自分で書いておいてなんですが、どういう方が手に取ってくださっているのか見えていないんです(笑)」
後に「三一権実諍論」と呼ばれたこの論争は、「三乗説と一乗説のどちらが方便の教えで、どちらが真実の教えなのか」を争ったものだ。そもそも「乗」とは仏の悟りに導く乗り物のことで、一乗説とは「生きとし生けるものはブッダになれるのだから、修行しよう」という考え。一方、三乗説では「修行者の素質によって修行のゴールは異なる」としている。
現在の日本では一乗説が主流だが、当時は三乗説を唱えた法相宗の方がメジャーであり、新興だった最澄の天台宗は勢力としては脆弱だったという。
「仏教界という狭い範囲での論争に見えますが、国の在り方をめぐる議論ともリンクした重大なテーマでもありました。最澄が徳一に送った『守護国界章』という批判書を本書で解説しましたが、最澄は国境を守り、人々を救うためにも徳一の論を批判し、地獄に落ちてもらおう、と言っているのです。国境を守ることと仏教の教えの関連というのはピンとこないかも知れませんが、それを一笑に付すのではなく、できる限り彼らの真剣さを掬い取りたいと思っています」
当時の論争をひも解くためには、彼らが置かれた社会的状況、仏教界の潮流を加味することが欠かせない。
「一乗vs.三乗、最澄vs.徳一、といった単純な二項対立の図式を脱して、周囲にいた人々のネットワークを復元しようと試みました。これまで語られてきたイメージから自由であるためにも、また古代の人々の言葉のニュアンスや、失われた文献を復元するためにも、コンピューターを利用して解析や分析を行っています。“文献の中の指紋を探す”と言うのですが、印象に残るフレーズや一見特徴的に見える主張だけではなく、とるに足らないように見える、ただの模様の中にその人を特徴づける鍵があるかもしれない、と思いながら日々研究しています」
論争の内容はもちろん、彼らが用いていた議論の方法にも焦点を当てて解説しているところが面白い。
「2人の論争は、“因明(いんみょう)(仏教論理学)”という議論における作法を共有していました。最澄と徳一が自分の信じていることを一方的に唱えるのではなく、お互い別の信仰を持っていながら、同じフィールドで議論が出来たのはこの論理学が非常に有用なものだったからです。因明は西洋で言う三段論法のような思考法ですが、実は日本では現在、研究者がほとんどいないんです。明治以降、西洋の学問が輸入された際に忘れられてしまい、私の前には30年以上研究の空白の時代がありました。ただ欧米圏では現在、現代哲学との共同研究なども行われています」
現代に通ずる“議論の作法”を学ぶこともできる一冊だ。
もろしげき/1972年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東洋大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。現在は花園大学文学部教授。著書に『論理と歴史――東アジア仏教論理学の形成と展開』『『大乗五蘊論』を読む』など。
「週刊文春」編集部/週刊文春 2022年1月13日号 他人の著作物の攻め受けで揉めるBL界隈と何ら変わりがない 坊主になって高い戒名つけて稼いで女侍らせて高い車乗りてえなあ
>>9
成仏の話してるのになんで極楽が出てくるの? エヴァがどーたらって言い争ってるのも1000年後にはありがたい話になってるんか 因果応報とか自業自得とか自己責任論で弱者を切り捨てる仏教とかいうクソ宗教
現代日本が酷薄なのもお前ら日本仏教の何百年にもわたる積み重ねが原因なんだわ
滅びろ >修行者の素質
そんなもん生死の境を彷徨う苦行やりゃ
素質の違いなんて超越するだろ
人間かどうかすら危ういレベルに到達する >>16
因果応報 → 良いことしたら返ってくるから良いことしろ
自業自得 → 良いことすると自分の得になるから良いことしろ
情けは人の為ならず → 人助けは自分のためだから人助けしろ
積極的に共助を説いてるのが仏教なんだがなぁ 仏教ざっくりなぞったような本読んでみたけど難しいよなあ 天台本覚ってのは不覚、善と悪という関係性すら超越した不二一体こそが世界の真理であり、不二一体であるが故に悟ってないけど悟ってるって考えなんかもしれんけども、悟ってる状態と悟ってない状態を区別するにはどーすればええんやろね🤔
悟る悟ってないに客観的な基準を求める事自体が仏教的には誤った考えなんやろか? 中国経由で伝わったせいで本筋とは離れた外道になってるだろ日本仏教 釈迦が悟りをみつけたときは段階だけだったのに
後にどんどんと悟りの高レベルができてきてるのって
超サイヤ人みたいだな せっかく仏陀が単純化したバラモン教が
邪教の住処日本で再び混沌に貶められた例 仏教の本筋なんかもう誰も分からないから拘るだけ無駄
創始者の釈迦は縁起を軸に説法を人によって変えてた上に文字を残してないから解釈がみんなバラバラ
異常な数の宗派と経典とが生まれてしまい最終的には土着の宗教と結びついて衰退
キリスト教みたく権力者が経典を一本に纏めてたら違ったかもな 東照大権現って嫁息子含めてさんざん人殺してるけど偉い神仏なのか?
んじゃ修行するより暴力組織作って人倒していったほうが手っ取り早く神仏になれるわけだな 散々悪いことしてきた東照大権現の日光東照宮って参拝なんてしても
何の御利益もないよな NYの仏「落とすための試験ではない(絶対落ちないとは言ってない)」 >>16
自己責任=自力救済の慣習は律令制の明らかな欠陥と権力者の怠慢が原因で仏教は関係ないぞ 日本の僧侶って悟りどころか地獄の一番底にぶち込まれてもしかたないクズしかいないだろ 自業自得は体感するけど、因果応報は精神を病む悪い考え方だと思うから考えないようにしてる >地方の小さな書店から少しずつ注文が入り、増刷に繋がっているようです。
>自分が書いておいてなんですが、どういう方が手に取ってくださっているのか見えていないんです(笑)
買ってるのは地方の学会員とかいうギャグじゃないのこれ
>>37
学会員が創価学会員のことなら
あいつら基本的に宗教テーマの本は、学会系の出版社か、学会に近しい著者のしか買わないぞ >>1
現代だと世襲真理教と非世襲救済教の争いになりそう 争いがある時点で全部カスだろ
俺みたいに全てを超越しろよ
それが悟りだよ 東洋の印哲出身ってこういう地味な研究好きだよな
東大では絶対やらんテーマ 最澄の時代にはもう中国は大乗の阿弥陀信仰が主流で
上座部仏教の流れをくむ思想はどんどん廃れていったからな
>>47
竜女「残念でしたーw女でもちんちん生えてきて成仏できまーすww」 >>50
>>47みたいな事を言った弟子が逆にちんこなくなって大泣きしながら謝った話が面白いよな
とても俗物らしくて >>56
他力本願お釈迦様におすがりします最高よな >>23
本人の主観による区別の仕方では過程において神通力が発現するとあるね
ただダイバダッタのような悪人も神通力者であったようなので、必ずしも悟っているとは限らないというか、副次的な効能に過ぎないんだろうけどね
とは言え、そのダイバダッタの性悪も釈迦を悟りに至らしめるためだったという善悪不二な解釈になってしまうんだけどね 伝言ゲームでどんどん間違って伝わった最後の人たちが、
どっちが正しいか言い合うというお笑いゲーム! >因明は西洋で言う三段論法のような思考法ですが、実は日本では現在、研究者がほとんどいないんです。
うーん? 桂紹隆先生をはじめ結構いる気がするけど…因明学ってニヤーヤ学派の事なんだよね。六派哲学も全部論争の時はニヤーヤの作法に従ってるし
成唯識論だってそのフォーマットで記述されてる訳だけども
仏教の研究者ってほんと仏教だけで、背景のインド哲学全般を平気で無視するんだよなあ 世界情勢が悪くなると途端に宗教家が元気になるのはなんでだろう〜 本来日本の仏教ってこういうバチバチしたもんだったわけだよな
未だにそのノリ受け継いでんの創価学会ぐらいなもんだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています