1965年9月30日、ティーンエイジャーだった弟は、仕事帰りに拳銃で撃たれて死んだ。その現場からわずか1ブロックのところにバーバラ・マック(84)は住んでいる。

父親を銃弾に奪われた際、ハサン・アダムズ(56)はわずか生後8ヵ月だった。

アジザ・アーリーン(55)については、生まれる数ヵ月前のことだったので、一度も父親に会ったことがない。

それから半世紀以上が経ったいま、彼らはこの殺人事件の犯人からようやく謝罪を受け、賠償について話し合うことができた。

エドワード・デヴィッド・ホワイトは、18歳のときに銃で撃たれて路上に放置された。彼は前科もなく、武器も持っていなかった。

そのホワイトの遺族は、最近のミーティングで初めてその加害者と面会したが、ティーンエイジャーだった当時にホワイトを殺害したのは、現在のナイキの幹部だった。

その人物の名はラリー・ミラー(72)。

当時16歳でギャング団の一員だったミラーは、酒に酔ったその晩、最初に目にした人を殺すことにしたのだという。

この殺人事件によってミラーは4年半、さらに複数の武装窃盗罪でさらに5年間服役した。その後人生を立て直し、スポーツ業界のマーケティングエグゼクティブとして見事なキャリアを築いた。 

ミラーは、現在ナイキのマイケル・ジョーダン・ブランドの社長で、以前はNBAポートランド・トレイルブレイザーズのプレジデントを務めた。そんな彼は、娘と執筆した最新の著作『ジャンプ――ストリートから役員室までの私の秘密の旅』(未邦訳)を出すまで、自らの犯罪歴を何十年も隠してきた。

本書は、矯正施設が受刑者の収容以上のことに取り組めば、救済は可能だと示すために書かれた。しかし、本書を通じてミラーは癒しを得られた一方、ホワイトの遺族の傷は再び開かれてしまった。

本書ではホワイトの名前に言及はなく、本書の執筆や出版についてもミラーは遺族に連絡しなかった。だが2021年10月、遺族の一人が、ホワイトの名前に言及した殺人事件と本著に関する記事を米誌「スポーツ・イラストレイテッド」で偶然読み、遺族は不意打ちを食らったような衝撃を受けた。

遺族は本紙にその胸中を語り、2021年11月、ホワイトの事件に関する記事を本誌は掲載した。

その記事がきっかけとなり、12月17日、ミラーは、ホワイトの姉と息子と娘と対面した。フィラデルフィアの法律事務所で実現したこのミーティングでは、参加者たちは、胸が掻き立てられたという。 

姉のマックは、ミラーに対して彼の罪を赦すと言った。「そうしなければ、神が私を許してくださらないでしょうから」と。

そして彼女は、弟のことについて書いた手紙をミラーの前で読みあげた。弟には双子の妹がいたこと、幼い息子ともうすぐ生まれる赤ん坊がいたこと。そして、ダイナーで働きながら職業訓練を受けており、中折れ帽を粋にかぶっていたこと、ソウル・コーラス・グループ「ザ・テンプテーションズ」が好きだったことなどを伝えた。

ミラーは、ときに目に涙を浮かばせながら何度も謝り続けたと彼女は言う。

ミーティングの終わりに、ミラーはマックにハグしてもいいかと聞いた。彼女は承諾したが、こうも言った。「もし30歳若ければ、テーブルの向こうのあなたを責めたわ」

2度目のミーティングには、「もう彼に会う必要はない」と言ってマックは参加しなかった。

一方、ミラーは、ミーティングの詳細については本紙には語らず、ホワイトの遺族側にまずその思いを語ってもらいたいと言った。彼が語ったのは、ミーティングは胸が掻き立てられるものだったということだ。

そして、自分の「深い後悔と事件に対する悲痛な思い」がホワイトの遺族に伝わったことを願っていると述べた。また、もしもっと若ければ彼を責めただろうというマックの発言については、「納得のいくコメントだった」と話す。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0c9ceaf4ea7571b15e5c34d22145bfca20eeb832