結局のところ、超能力者じゃないから相手の内面を悟って絶対的な確信をもって抱きに行くなんてこと神でもないとできない。
それこそ承諾書でも書こうなんてしたら、興ざめだし関係性も台無しになります、と。
だからこそたとえば知り合いの女性と飲みに行っていいムードになった、
でも万が一その目の前の女性が本当は演技がうまくてあわせてるけど
心の底では嫌がってるかもしれない、あとで訴えられるかも
なんて考えがまったく一切よぎらないなんて男はいないだろう。
でも「いや万が一レイプになったとしたってここまできて帰るのはないししていいかなんてきくのはないかな」
「まあ仮に本当は嫌がっていたとしても訴えてきたり事件に何てならない」
「もっと飲ませて意識あいまいにしてしまえ」
「まあ女なんて泣き寝入りするだけ」って犯罪をしてもいいって
心理ハードルを越えられれば抱けるしモテるってこと。
実際仮に嫌がっていた女性がいたってまあ日本人女性なら訴えたりしてくるなんて女性はいないだろうって
心理的なタガを外すことができたやつがモテまくる。
そこで「いやいややっぱり同意を得るべきだよ、女性が本当は嫌がっていて
 勘違いだったらどうする!?」
「お酒を飲ませて誘うなんて意識も判断力も低下してる女性とするなんて野蛮人のすること」
なんて風な男は抱けない、モテない。
でも「そうあるべき」だって教育や親、意識ばかりは徹底して若い男性たちに広めてきたわけ。
そうなれば若い男性はがんじがらめになって動けなくなる。
実際にその女性が内心嫌がってなんていないか、実は本当な嫌がっていたか自体は問題じゃなく、
神にしかわからない。
男性側は「万が一レイプになってもいいや。どうせ訴えられるなんてことはない」って
意識的な一線を越えていかないと難しい。