>>158
4世紀に入り、朝鮮北部の楽浪(らくろう)、帯方(たいほう)郡の滅亡を契機に、
三韓諸国は統合に向かい、馬韓の地は伯済(はくさい)国を中核に百済(くだら)を建て、
辰韓は斯盧(しろ)国によって統合され新羅(しらぎ)となった。
しかし弁辰の地は加羅(から)諸国とよばれ、小国の分立状態が続いた。

弁韓には倭(日本)が進出して任那(みまな)が成立したとされてきたが,
倭の任那支配には疑問が多く,近年ではこの地方は一般に加羅(から)と呼ばれる。