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聖徳太子没後1400年 津市の四天王寺で新観音像を制作

聖徳太子が建立したとされる津市の四天王寺。昨年、聖徳太子没後1400年を迎えたことを機に、新たな観音像の制作を進めている。コロナ禍が人々の生活を襲い、いさかいも起きている今こそ、聖徳太子の唱えた「和の精神」を伝えたいという。

 制作しているのは、座ったまま身を乗り出す姿勢の「救世観音」と呼ばれる観音像。

 倉島隆行(りゅうぎょう)住職(45)によると、救世観音は「人々の悩みや苦しみを救おうとしている姿」。木曽ヒノキを使い、宝石や真珠などで装飾される。子どもや車いすに乗る人たちが目を合わせられるよう、高さは60センチほどにした。

 観音像の姿となる木曽ヒノキを切ったのは10年ほど前。その後、木材に含まれた不要な油分を抜くため、名古屋港内の海で5年ほど寝かせた。乾燥、製材を経て、現在は彫刻や仕上げの作業に入っている。

 四天王寺での聖徳太子の伝承はこうだ。

 用明天皇の皇子として生まれた聖徳太子。豪族、物部氏との戦いで、蘇我氏側についた厩戸(うまやと)皇子(聖徳太子)が、勝利を四天王に祈り、勝利を得たので、後に四つの寺を各地に創建した。現存するその一つが伊勢の国では、塔世山・四天王寺だったという。

 伊勢の国に建立されたのは大きな港があったためだ。倉島住職の説明では、6世紀半ば、日本列島へ仏教が伝来し、海外との往来が増え、疫病も流行した。聖徳太子は、疫病や災害から人々を守るために、現在の津の、玄関口である港近くに四天王寺を建立したという。

 倉島住職は、聖徳太子が説く「和の精神」の重要性を強調する。「聖徳太子が制定した十七条憲法は、誠実であること、信頼を築くこと、皆で話し合うことが記されている。そんな『和の精神』を後世にも伝えていきたい」と考え、没後1400年に向けて観音像の制作を考案した。

 倉島住職は「制作を始めた当初はまさか社会がコロナ禍に見舞われているとは思っていなかった。こういう時代に巡り合ったからこそ、コロナ禍の収束と戦禍にも遭わない平和を願い、完成させたい」と話す。

 観音像は本堂に設置する。2月22日の「聖徳太子1400年大遠忌正当法要」で開眼式を実施し、一般にも公開する予定。