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人間は武器を持って生まれてこない。
にもかかわらず、人々はよく闘争する。

闘争する動物たちは往々にして、鋭い牙や頑丈な角、並外れた反射神経をもって生まれてくる。

捕食動物は、獲物に対しては容赦ないが、彼らは同族同種の仲間に対して非道でもなければ残忍でもない。
戦う道具をもって生まれてくる者は、自らの牙が角が爪が、どのように作用するかをよく心得ているため、彼らの社会が血に染まることは少ない傾向にある。

さて、ここに人間と同じく、牙も角も爪もない軟弱な生き物がいる。

この軟弱な生き物は、牙で獲物を噛みちぎる動物よりも、爪で獲物を切り裂く動物よりも、角で獲物を蹂躙する動物よりも、より残忍な方法で相手を殺す。
捕食のために武器をもって産まれた動物と違って、武器を持たない動物は、ただ感情のままに、自らの腕を振るい自らの頭を駆使し自らの口を使う。
その結果、どうなるか。捕食動物と違って、被捕食動物は学ぶ機会が圧倒的に少ないため、加減を知らずに行ってしまう傾向が強い。

この武器を持たずに生まれてくるものの特徴を、人間も同様に持っているのだと私は思う。

私達は、道具を手にして生まれてくるわけではない。神があるいは本能が、私達の身体に武器は必要ないとした。戦う武器を持たずに我々は生まれてくる。
にもかかわらず、今日において、あらゆる道具を使い、あらゆる武器を手に、あらゆる詭弁を用いて、人間は闘争する。

道具を扱うために、武器を扱うために、言葉を扱うために、必要な倫理感を自然が勝手に養ってくれたわけではないのである。
そんな私達が戦うとき、果たして捕食動物たちが見せるほどの社会的寛容性を示すことが出来るだろうか。

後天的な道具を扱うに相応しい知識を、積極的に学んでいく必要があるのだと私は思う。