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1456年
ノシリ事件
和人の鍛冶屋によるアイヌの少年殺害をきっかけに和人の圧政に苦しむアイヌが蜂起。

1457年
コシャマインの戦い
和人の圧政に苦しむアイヌが蜂起。首長コシャマインは和人を追い詰めたが、和睦の席で暗殺される。

1515年
ショヤ・コウジ兄弟の戦い
和人の圧政に苦しむアイヌが蜂起。首長ショヤ・コウジ兄弟は和人を追いつめたが、和睦の席で暗殺される。

1529年
タナサカシの蜂起
和人の圧政に苦しむアイヌが蜂起。首長タナサカシは和人を追いつめたが、和睦の席で暗殺される。

1536年
タリコナの蜂起
タナサカシの娘婿タリコナが復讐のため決起するが妻とともに和睦の席で暗殺される。

1604年
徳川家康は黒印状で「夷次第」と
松前藩のアイヌ支配を認めなかった。


1643年
ヘナウケの戦い
和人の圧政に苦しむアイヌが蜂起。

1669年
シャクシャインの戦い
和人の圧政に苦しむアイヌが蜂起。首長シャクシャインはゲリラ戦で和人を苦しめたが、和睦の席で暗殺される。

1720年頃
場所請負制
アイヌへの収奪・酷使が激化。
アイヌは奴隷として徴用され、日本の上方や江戸に花開いた大衆文化を支えるため酷使させられた。

1785年
松前藩は、家康の黒印状を無視し
アイヌに対して日本語・日本風の髪型を禁止、笠・蓑・草鞋の使用まで禁止し、アイヌを「禽獣の類」として区別し、奴隷として酷使した。
(最上徳内・蝦夷国風俗人情沙汰)

1788年
和人はアイヌを酷使し、反抗すれば脅迫、暴行、毒殺した。労働力にならない老人や病人も虐殺した。また、和人はアイヌ女性を手当たり次第に強姦し、抗議に来た夫を虐待し、さらに弁償させるという傍若無人の振る舞いを行った。
(新井田孫三郎・寛政蝦夷乱取調日記)

1789年
クナシリ・メナシの戦い

1845年
「北海道」の名づけの親、松浦武四郎が蝦夷地を探検。和人に奴隷化されたアイヌの過酷な生活を記録する。

1869年
明治政府、アイヌモシリ(北海道、樺太、千島列島)を主のない土地であると日本に併合。

1871年
日本はアイヌの耳輪、入墨、葬儀を禁止。 日本語の使用を強制。