チェチェン共和国の独立とソ連邦による徹底的な弾圧

チェチェン共和国成立
 チェチェン人たちが1990年11月にチェチェン・イングーシ自治共和国のソ連邦からの独立を宣言し、翌年11月に初代大統領ジョハル・ドゥダエフがソ連邦からの独立とチェチェン・イチケリア共和国の建国を宣言した。
 しかしソビエト連邦はこれを認めなかった。

第一次チェチェン紛争
 1991年12月のソビエト連邦の崩壊後のロシア連邦政府もチェチェン・イチケリア共和国の存在を拒絶し、1994年12月にロシア連邦大統領ボリス・エリツィンはチェチェンの連邦からの独立を阻止するため4万のロシア連邦軍を派遣し第一次チェチェン紛争に突入した。
 独立派はゲリラ戦で激しく戦い紛争は泥沼化したが、1995年2月にロシア軍がチェチェンの首都グロズヌイを制圧し、1996年4月にジョハル・ドゥダエフの殺害に成功すると、8月にエリツィンとチェチェンの武装勢力のリーダーの間で停戦が合意された。
 プーチンは戦争の功績でエリツィンに取り立てられ首相となる。

第二次チェチェン紛争
 停戦中の1999年9月にモスクワでアパート連続爆破事件が発生した。これはプーチンの自作自演とみなされている。プーチンはチェチェン人の仕業にしたて、これを口実にチェンチェンに侵攻し、首都グロズヌイを徹底的に破壊した。
 そして30万人のチェチェン人を殺害した。これはチェチェンの人口の3分の1である。
 プーチンの支持率は急上昇し、大統領に選ばれた。
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