キリストの「罪のない者だけが石を〜」の話を耳にするたびにふと考える
過去に一度でも過ちを犯してしまったら、同様の罪を批判する資格はないんだろうか?

例えば、昭和の時代に道端で立ち小便してた人は現代に立ち小便をしている人を批判してはいけないんだろうか
(1)時代に応じた社会の許容度
(2)当人が過ちを認めて反省しているかどうか
こういった条件如何では批判しても良いんじゃないか