男というものは、もし相手の女が、彼の肉体だけを求めていたのだとわかると、一等自尊心を鼓舞されて、大得意になるという妙なケダモノであります。

男にとって最高の自慢になることは、彼のやさしい心根や、純情や、あるいは才能や、頭脳を愛されたということではなくて、
正にそのものズバリ、彼の肉体を愛されたということなのである。

これは男性の通性であって、高級な知的な男たると、低級な男たるとを問いません。

ところが女性は全然ちがうらしい。

彼女たちは、「私」のほうが「私の体」よりも、ずっと高級な、美しい、神聖な存在だと信じているらしい。

だから、この高級で清浄で美しい「私」をさておいて、
それ以下の「私の体」だけを欲望の対象にする所業はゆるせないのである。

これは奇妙な自己矛盾であって、もし女性が自分の肉体を、高級で、美しくて、神聖なものと信じていたら、
それにあこがれる男の欲望をも、高く評価する筈であるが、
多くの淑女は妙に自分の肉体それ自体を神聖で美しいものと感じない傾きがある。


三島由紀夫『不道徳教育講座 』