ひょんなことから「大分県大分市」に行くことになった おすすめの観光とか食い物とか風俗教えろ [268718286]
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別府とか中津ならともかく大分市では飯食うくらいしかなくね? 泥の温泉良いぞ!混浴だしな!
この時期卒業したてのギャルも来ると言うしな 魚はとにかくうまい。城下カレイとかコチとかワタリガニとか
大分なんて何もないだろ やめとけよ 大分は温泉から遊園地から動物園から山まで何でもある 国東半島の寺めぐり
そこら辺にある磨崖仏めぐり
関さば関あじ
そんな所でしょ大分なんて寺と魚と畑と温泉しかないし 鳴門うどんと丸亀製麺が斜め向かいで一騎打ちしてるぞ 夕方から博多を出発して夕食前に着く予定だ
次の日に庵野秀明展に行く >>1
魚はマジで美味い
関サバ関アジが有名だが別に普通のアジとかでも美味い
あととり天
なお、ラーメンは他の九州圏に比べて特徴が無い模様 大分市って何があるんだ
昔駅前にパルコやフォーラスあったけどなくなったのは知ってる 昔オリアナあった時マンション買うてもろうた
無くなった頃に売ったが温泉あるしなかなか良かった 長湯温泉
やまなみハイウェイ
吉四六ランド
てったこ
府内焼き
地獄蒸し
あと都町で適当に遊べ 大分の芸術といえば鏝絵だな
民家の壁にある
場所を調べて探してみるのも良い
安心院が有名だが大分市内にも16軒ほどあるらしい 食い物の宝庫だろ
そこらの居酒屋入って適当に食っとけ 寿司屋は別府の亀正くるくる寿司が有名
くるくる寿司w 行ったことないし行くことないと思ってたが海産物そんな旨いのか >>30
アミュプラザ
で何かすげえ高い温泉があると聞いてる 市内かぁ〜市内はほんとになんもねぇなぁ
飯なら王府とか金なべ亭とか不二かつオススメ 大分県産のお醤油ってちょっと甘いんでしょ?
使ってみたいけど関西で売ってないんだよなぁ ちょっとまって。
そもそも、「ひょん」ってなんなの? とり天、だんご汁、やせうま等を食って温泉に入ればパーフェクト。あとは適当に遊べ。 市民だけど美術館行ったら大分市は飯食うところくらい...観光名所も特にない
パークプレイス、わさだタウンなんて都会の人が行ってもツマランだろうし
別府城島遊園地が最近リニューアルあるしたから、別府行って温泉行くか遊んだ方が良いかも >>48
山伏ガチ勢の修行場
豊後高田市の昭和レトロ地区
右上に姫島村
付け根に福沢諭吉 観光地→別府、湯布院
食い物→探せばどこでも
風俗→別府
別府行っとけ 戸次や塚野霊泉もマザーランドも一応市内
>>48
国東の内陸はほんと寺しかない
豊後高田は昭和の街で町興し、国東市は空港、日出はハーモニーランドと海沿いしか人がいない からあげは明野のからあげショップ きずが上手いな
ラーメンで濃いとんこつ系ならトラの夢かな1100円くらいのチャーシューが多めに入ったラーメンがオススメ トラの夢の特製マキシマム・ザ・チャーシュー麺やな
おにぎりあたためますかでやってた あ、秘密基地店を移転してた
まだやってるわごめん
色々品揃えが濃い
東京の専門店と比べるとしょぼいかもだが 耶馬渓は桜も紅葉も綺麗だからいいよね
毎年ロードバイクで自走200km走ってる トラの夢はうまい
たしか一骨屋の暖簾分けよな?
あっさり系なら丸優が好き 別府のJJたまに行ってたけどくそ値上げしててびびったわ
あれ客入るのかあの値段で行くのはクソバカだろ 大分市で上手いもの食いたいならレンタカーかタクシーで回った方が良い
大分市でバスの移動は糞面倒なのであまりオススメせん
別府は一方通行とか多いし迷路なのでバスかタクシーがオススメだけど >>48
こうして見るとデカいな
旧阿蘇山系の火山からの繋がりでもあるんだろうか ドライブで別大国道と別府の上のほう行くとめちゃくちゃ気持ちいいんだよな
別府は昼間はただ汚いだけの街だが夜はまあまあ好きだわ 大分市縛りならアミュで事足りる つまり駅周辺から動くな 別府なり市外へ行かないとほんと何も無いぞ
駅前はきれいになったけどどこにでもあるような駅ビルにどこにでもあるショップが並んでるだけ とり天は全国的に展開したら天下取れるローカルフードなんじゃないかと思う
ジョイフルのとり天でも十分すぎるほど美味いが本場のは更に美味い もしかして関東から大分市トレイルランに
きてる奴かもしれん>>1 大分で有名な鶏天屋はうまいと思わない
俺が好きなのは白っぽっくて細長くて柔らかいのがうまいんだよ >>91
大分唐揚げは既に都内にアホみたいにある
それこそ中津市内より多いんじゃないかってぐらいに
もちろん中津から進出してる所もあるけど >>91
好きだわ
麦焼酎に焼酎に合う感じもあるな とり天うまいよな
大分市じゃないけど湯布院駅の近くにある
農協の直売所の食堂で食べた 伝説によれば、仁聞菩薩が、養老2年(718年)頃に、国東半島の各地に28の寺院を開創し、6万9千体の仏像を造ったといわれている。
実際には、古来国東半島にあった山岳信仰の場が、奈良時代末期から平安時代にかけて寺院の形態を取るようになったものである。古来の山岳信仰が、近隣の宇佐神宮及びその神宮寺である弥勒寺を中心とする八幡信仰、さらには天台系修験と融合した結果、神仏習合の独特な山岳仏教文化が形成されたと言われる。今日でも、33の寺院と番外に宇佐神宮を加えた「国東六郷満山霊場」(国東半島三十三箇所)が構成されている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています