ロシア人たちは日本が無条件降伏した後も執拗に日本市民を虐殺し続けた。

第二次世界大戦時のロシア(ソ連)の所業

原爆投下後にソ連は日ソ不可侵条約を破棄、満州樺太で無差別攻撃を
実施し、約10万人の日本市民を虐殺した。

代表的事件

三船殉難事件:
日本の無条件降伏受諾を受けて米英中が停戦した後の1945年8月22日、
ソ連軍に侵攻された樺太から逃げる民間人を乗せた疎開船3隻が
ソ連軍潜水艦の攻撃を受け2隻が沈没した事件。ソ連軍潜水艦は
船から投げ出されて海に浮いている民間人に機銃掃射を行い
1708名以上が虐殺された。

敦化事件:
日本の無条件降伏受諾を受けて米英中が停戦した後の1945年8月27日、
満州の王子製紙女子社員約200名がソ連兵に連日集団強姦され、
絶望の末に家族と共に集団自決した。